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仁淀川町椿山のヤマチャの実

國友さん、登っていいですか? そのキラキラ輝くヤマチャのくさむらに、さっと近づいてパチリ!とはコトがカンタンではなく、異常に雨の多かった今年の夏ゆえ、ふだんなら多少の刈り込みもする自然生えの茶園は草がぼうぼう。「はぶ(マムシ?)が出ますき、きをつけてください、私はよう登りませんけど」と。でもだいじょうぶ。登るのは得意とガシガシ、かなりのヤブ漕ぎで、ああ何か懐かしいお茶の花、そこにかしこに、ほろほろと、お茶の実がこぼれていた。傷だらけになってとったのがてのひらに載せた写真(^<^) この樅の木でのヤマチャファーストコンタクトから先、午後と翌日の朝は同じいの町の小倉山で出合い、また遠征行となったおとなり町の仁淀川町椿山でも、さらには國友さんと別れた後、西土佐をぐるり巡るドライブ、梼原の山でも、いっしょにドライブしてくれた有機農家、畑俊八さんちの自然生えでも、とにかく僕は高知県のいたるところで、このヤマチャに出合い、そのひとつひとつに少なからずの感動を覚えて旅を続けた。 [gallery link="file" columns="3"] 高知はどうしてこんなに魚影ならぬ茶影が濃ゆいのか。松下智先生の著わした『幻のヤマチャ紀行』によると、高知県に限らす、1950年代までは焼畑利用の茶栽培は全国各地でふつうに行われていたようだ。焼畑が廃れるとチャノキは伐採されて杉の拡大造林となっていったが、自生えの残根が生きていて、そこらへんを刈り払えば茶が萌芽する状態になっているようなのだ。高知県では県の山間地のほぼ全域、中でも高岡郡仁淀村とその周辺が盛んとあって、今回はまさにそのヤマチャのメッカを訪ね歩いたというワケだ。 お茶は葉を利用するもの。園地化された茶畑ではかまぼこ型、整った葉っぱのくさむらを見る。そこに花や実を見ることはないように思う。これを聞くと、木は、水不足や栄養不足などの生存の危機に花を咲かせ実をつけると。だから、栄養豊富な茶畑でこれを見ることは稀なのだそうだ。ところが野生の、自生えの山には、農家の生け垣には、この季節、花も実もたくさんあった。これが危機なのかはわからないが、日差しを受けて輝く花も実も、それは心温まる情景として心に焼きついた。 亡くなったお父様の遺志を継ぎ、お茶栽培を始めた國友さんは、10数年来、自生えのヤマチャを愛し、栽培して、研究してきた実践家だ。椿山で、國友さんの園地で拾った種を見せて伺うと、乾かさないように芽出しをして、深さのある鉢になら栽培できるとのこと。最初は弱いので気をつけて、しっかり根付けば強いとも。手元に十数粒のお茶の実を持ち帰った。何年で恰好がつくかはわからないが、お茶の鉢、つくってみようと思う。 (続く) [caption id="attachment_603" align="aligncenter" width="300"]yamatya 梼原・畑さん実家のヤマチャ畑[/caption]

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