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話を弾ませる平野おばあちゃんと広川先生

楮は株で百年ばぁ生えるけんど、三椏は3年で刈り取ってまた植えます。
山の木を皆伐して切畑にして、苗を新植する間を三椏用に貸すんです。
借りてくれた三椏の人が管理してくれるき、草刈もせんでええ。
そうひたら木が大きくなっていくき都合がよかった。

ここは“本お茶畑(本畑)”は少なくて、楮(こうぞ)やらの間に茶の木が生える。家の裏はじっこが斜面なら、必ずヤマチャが生えてくるから、それを自家用に刈り揃えて、自家用にしたり農協出荷したりした。三椏(みつまた)も盛んだったそうだ。平野おばあちゃんは、広川先生にうながされるように、今も近畿一円に残る大福茶のルーツともいえる習わし、ここ椿山で今も生きている、八日茶のお話しをしてくださった。

正月元旦は、若水汲みに行きよった。
元旦には、前の年、旧暦の4月8日に摘んだお茶をとっちょって、いただくの。
飲まないで置かにゃいかんの。この習わしはする人しない人います。
昔はね若水さまいうてね、それぞれのうちには水を引いていなかったきね、
朝早ように松明つけて、汲みにいったんです。
八日茶。八日茶の摘んだのをね。
節句のときにはね、春の桃の花を供えてね、お茶へね、つけといて、
5月の節句には、菖蒲とよもぎとかやを束にして屋根に放り上げました。

広川先生は言う。こういうものは、歳時記から削られているんですね。若水様に、汲んできて、いただいた水でお茶をつくるという習わしが、千年以上続いている。それを知っている里が、ここ椿山には平家の伝説があるが、そういう古い村、古式豊かな儀式を残していると。

めまいがするような、ふっと大きな昔にタイムスリップをしたような感覚が降りてきた。見上げるような山々、見下ろす深い谷に挟まれた集落にいて、生まれたばかりの場所にいるような安心感を、今日の夕方には里に戻って酒を飲んでいるだろう自分がやんわりと引き戻そうとしていて、ヘンな感じ。そんな中で、平野おばあちゃんは、ここ椿山にゆったり、お話をされていたのでした。

……帰宅後、調べたら旧暦の4月8日は、お釈迦様の誕生日ということだった。頼朝の誕生日であり、吉田東洋の忌日でもあった。関連して、大福茶には、灌仏会法要という仏事にも関わっていたみたいだ。

大福茶緑茶の事典より)
関西でお正月にいただく縁起物のお茶の習慣で、梅干しや昆布をお茶にいれたものを頂く。天暦5年(951)の春に京都で流行した疫病が、六波羅蜜寺の空也上人が、茶に梅干しを入れて道行く人にふるまったことで鎮まった。この功徳にあやかり、時の天皇、村上天皇が、毎年正月にはお茶を喫するようになった。庶民もこれにならい、一年の無病息災を祈願する慣わしとして近畿一円に広がった。

灌仏会法要wikipediaより)
草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来するそうで、宗派に関係なくどの寺院でも行うようだ。甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。

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今も道がちゃんと生きている

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