<1>山のお茶をつくりたい

12 月 01 日



……熊本県八代市泉・船本繁男さん

山のお茶をつくりたい!

新茶の季節もひと段落した6月初め、熊本県八代市泉町(旧泉村。以下泉村)に、釜炒り茶にこだわる茶農家、船本繁男さん(69歳)を訪ねた。泉村は熊本県の南東、標高100m~700m、九州山地の山懐に抱かれた、人口3千人に満たない小さな山村。平家の落人伝説で知られる五家荘も含め、古くから釜炒り製茶が盛んな土地だったが、残念なことに現在は高齢化も進み、生産量も最盛期の3分の1にまで落ち込み、減少の一途を辿っている。

船本さんの住む泉の集落は、標高で300メートルほどの山の中腹にある。川の流れに沿った谷あい、傾斜はきついが程よい日照がある70アールほどの茶畑は、霧が立ち寒暖差のある上質茶の生産条件が整った立地にある。この場所で茶を育て、船本さんは現在、今は県下に2人しかいないと言われる青柳製釜炒り茶を今に伝えている。ご自宅に着くなり、まずはお茶でも、と漬物をお茶請けにして、船本さんの話を聴いた。

「うちは山があって、傾斜があって水はけのよかけん昔は山間地のお茶がおいしいって言われてたんだ。そんで、香りは釜炒りが出る。釜炒りは香りが身上。このお茶は回数が出ます。4,5回出してもいや味が来ないです」「青柳もなぁ、泉村ではわしんとこただ1軒になっちゃった」。

と回想する船本さん。青柳とは青柳製釜炒り茶のこと。釜炒りの方法には古くから青柳製(平釜)と嬉野製(45℃の傾斜釜)があり、現在は炒りと揉みを連続して行なう動力式の釜炒り機械が普及し、熟練が必要で重労働のこの製法を使う方は極めて少ない。熊本県の資料によると、元禄年間(1688~1703)に中国から伝わった技術であるという。

釜炒りは手がかかる上に儲からん。お茶屋さんと違うもん、と船本さんは九州全域でここ30年、釜炒り茶が姿を消しつつある背景を話す。「田舎やけん高く売りよらん。東京行けば1000円とか1500円とかで売れるはずのお茶も、ここでは1000円以上じゃ売れん。そうかといって釜炒りは機械化がでけん。体力もいる。手のかからん連続の釜炒り機でも1時間で生葉40kg、カネコ式は10kgがいいとこだ。そこを蒸しの機械なら60kg3台回して同じ時間で180kgできる。でも出来上がりの値段は変わらんのです。若かころならな、がんばりもしようが、釜炒りは報われん……」

カネコ式とは、丸釜単独の釜炒り製茶機のことで、茶葉のかく拌を行なうだけのもの。揉みの工程は別で、火加減や時間の頃合だけでなく、葉を炒るところから揉む工程まで人間がつきっきりで見なければならない。船本さんはこの釜を使って青柳釜炒り茶をつくっているのだ。

お茶農家は一般に、共同にせよ個人にせよ、荒茶での販売をすることが多い。生産から、販売までを一貫して行なう“自園自製自販”の農家もいるが、個人にせよ共同にせよ、圧倒的多数は荒茶で茶商に販売する。茶商は仕入れた荒茶をブレンドしたり、独自の仕上げをして自社ブランドで小売販売する。

ややこしいのは、生産農家の名前も、荒茶を仕入れて販売する茶商もだいたいが商品ラベルに「○○園」と名乗り、生産者が誰なのかまったくわからないということだ。1箇所の茶園単独のものなのか、ブレンド茶なのかもわからない。産地表示についても国内産ならどの地域のものをブレンドしても「国産」とだけ表示すればよいことになっているし、本来重要な選択肢であるはずの品種名や製法の表示義務もないとは驚く。

商品名も茶の品種を表すのではなく、何故か毛書、手書き風のありがたそうな、イメージのみのブランド名がついて、“新茶”とか“深蒸”とかの金色シールが貼ってあったりするのはありがちなパターンだ。

お茶の世界では“顔の見えない流通”が普通。産地名なのか、社名なのか、はたまた商品名なのかわからないブランドで売る。そのブランドが記号化し固定化していくなかで、いつのまにか製法が、茶の品種が、そして生産者が変わっていく。釜炒り茶発祥の地とも言われる佐賀県の嬉野でも、釜炒りは1958年当時に9割の工場が生産していた(嬉野町史)が、現在では5%を切っていると聞く。釜炒り製と蒸し製では、商品特性がかなり違うはずなのだが、それでも“嬉野茶”“玉緑茶”なのである。

(続く)

船本繁男さん作、ヤマチャの釜炒り茶。モリ式の炒り葉機で。

 

 

 

 

 

 

 

(この記事は、2008年6月に東京財団「食のたからもの再発見プロジェクト」にて取材したものの一部を加筆修正しています)

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