栂尾高山寺

06 月 05 日



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京都栂尾・高山寺の境内を歩く。梅雨に入ったばかりなのに晴れていたその日の栂尾の風はすずやか。でも石畳に石垣に積んだ石は苔むしている。その場所が全体に、中層でモミジの梢に、高層で杉の高木に守られて、季節を通して湿度の高い、光が適度に遮られている。

そうだ國友さん。國友さんが、小倉山の茶園で棕櫚や広葉樹をところどころ残して日陰をつくっていたのを思い出した。チャノキは杉と相性がいい。下生えで直射日光が当たらないところ。肥料がなくても、湿って酸性で、岩肌のようなところに根を絡め、根が出す根酸で岩の養分を少しずつ溶かして、生きる。そんなお話を聞いたのは、高知の國友昭香さんと、自然生えのヤマチャの農園を散策していてのことだった。あの茶園の奥は、まさに高山寺そのものだった。

その、とても似た環境で、ここ高山寺の参道を巡れば、思ったとおり、お茶園でなくとも、チャノキは自然に萌え出していた。よほど良い環境なのか、高さで2、3メートル、時折ひょろっと、ひっそりと生えているチャノキを見ることができた。チャノキは日あたりがいい場所でどかーんと広々広がるというより、もとの野生として、日陰で岩にしがみつくように生えている、という姿がそのまま、展開していたのだ。
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とてもよいことを得た気持ちになって、拝観料600円を払って国宝の石水院へ。そこでお寺の方にお茶の話をきいたらなんと、あと5個だけ残っていた今年のお茶があるという。2千円。お寺の方が自分たちで手摘みしたとは聞いたが、製茶は宇治の名のある方とだけしかわからず。肥培管理も聞けばよかったけど、まあいい。あの木陰の湿った場所でひっそりと育ったお茶。かつては「本茶」と呼ばれた、誉れ高い、ありがたいお茶を得ただけで、うれしいものだった。

ちなみに明恵上人は茶祖、栂尾山は茶の発祥地といわれてきたそうです。鎌倉の食に栄西禅師が宋に渡って茶種を持って帰国、これを明恵上人に贈られたとのこと。上人はこれを栂尾に、宇治に、方方に植え、鎌倉から室町時代には、それらの中で栂尾のお茶を「本茶」と呼んだと。ただ、今ある茶園は見たところそんなに古いものではない気がする。株元が若いもん。ほんとうはいつごろの、どんな品種なんだろうか……。

石水院南面、もみじの絶景の縁側では、僕ひとり。伝運慶の子犬さんに眺められながら、ごろん。これは快適だった。縁側に足を投げ出し、風を感じてひと眠り。明恵上人が夢枕に立ったワケではありませぬ(^^;

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