いったん始まったら、シーズン終わるまで、気を抜けないお茶作り。お茶シーズンをお茶農家として過ごしたことがないので、その瞬間瞬間の緊張や疲れ、孤独や高揚感を感じることはできないけれど、どのお茶農家に聞いても、今年はいつもとペースが違い、体調を維持するのが大変といいます。茶摘みが始まる前はビールっ腹もいいトコのオッサンが、夏にはほっそり、というのはほんとうで、それほど体力気力を消耗するのが、お茶農家にとってのお茶シーズン、ということです。

「気力」と加えたのは、お茶づくりが決して体力だけでこなせる仕事ではないから。それも揉捻機とか、機械を通せる回数が数回で、茶摘みも一発、年に数十キロもつくらないようなお茶ならなおさら。よほどコンディションを整えて、気力を充実させないと。ワールドカップ出場を決めた本田のPKのように、うまくいくとは限らない。ゲームをフルで戦い抜いて、あの集中力を発揮することは、やはり並大抵ではないと思うのです。

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昔ぼくは絵を描いていました。その当時、人の描いた絵を学ぶのに、その絵を描いた人が過ごした、その絵とともにある時間を想像する訓練をしていました。作品を眺めながら、そこにある筆跡や、何も描かれていないなら何もない空間を、じっと見て、その人のことを考える。そしてその絵に共感していく。寄り添うことのできる絵も、そうではない絵も、そうすることで、自分とその作品が、付き合うに良い距離を生み出すことができるのです。

お茶も、そういうものであるような気がします。それは手づくりに近いほど、感じることができる。いや、手づくりでなくても、お茶づくりの流れの瞬間瞬間に感じることや、そこからつくり手がどうしたかなど、本当はたくさんのドラマが隠れているでしょう。謙虚でいたいと思うし、感じ取る努力を続け、提案していきたいと思います。

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