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6月初旬、栂尾の高山寺に伺って…

拝観料600円を払って石水院へ。そこでお寺の方にお茶の話をきいたらなんと、あと5個だけ残っていた今年のお茶があるという。2千円。お寺の方が自分たちで手摘みしたとは聞いたが、製茶は宇治の名のある方とだけしかわからず。肥培管理も聞けばよかったけど、まあいい。あの木陰の湿った場所でひっそりと育ったお茶。かつては「本茶」と呼ばれた、誉れ高い、ありがたいお茶を得ただけで、うれしいものだった。

明恵上人は茶祖、栂尾山は茶の発祥地といわれてきたそうです。鎌倉の食に栄西禅師が宋に渡って茶種を持って帰国、これを明恵上人に贈られたとのこと。上人はこれを栂尾に、宇治に、方方に植え、鎌倉から室町時代には、それらの中で栂尾のお茶を「本茶」と呼んだと。ただ、今ある茶園は見たところそんなに古いものではない気がする。株元が若いもん。ほんとうはいつごろの、どんな品種なんだろうか

……と書いた。そのお茶を忘れていたのが上の写真のお茶缶。まだ飲んではいない。

高山寺といえば、鳥獣戯画で有名だから、お茶缶にもうさぎさん。石水院の展示もホンモノじゃないそうで。がっかりしたかといえば、そうでもない。「日本最古の茶園」も、栄西さんゆかりなら鎌倉前あたりだが、最澄空海のころとの説もあり、そうならば400年近く遡ることになるのだから、ここが本当に日本最古の茶園なのかどうか。

茶が遺した文化や史跡、人を綴った『茶仏』(宝迫典子さん)という本がある。空海がかつて見たという山茶のある風景を探すべく、四国に向かった宝迫さんは、結局、空海の頃の山茶を見ることはできなかった。でも、「それはもう伝説のベールの向こう側にあるもの。ただそれよりも、そのお茶を介して人々が与えてくれたもてなしの心、それが千数百年たった現在でも綿々と続いている奇跡のような事実に感動した」と書いている。そんな心を寄せて、宝迫さんが訪ねた茶園のひとつが、中ページに見開きで佇んでいる。説明がないので、知らない人はこれが国友農園さんの小倉山茶園とは気づかない。さておき、お茶にゆかりの地は、そのように訪ねるものだと思う。それぞれの人が、お茶に何らかの気持ちを寄り添わせ、心を温め、世のお茶に形を与えていると思う。

このお茶、高山寺、日本最古の茶園の2013年茶。封を切らず、秋まで茶箱にしまっておこう。
忘れなかったら、ありがたーくいただくのです(^-^)

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