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あるお話しを思い出したく、詩人の山尾三省さんの本をあたっていたら、うれしいことがあった。かつて僕は、何度も何度も、何冊も、この山尾三省さんの詩を、エッセイを読み返していたのに気づかなかった。そして今日気づいてみると、あの本にも、この本にもあったねと、思いだし、今、これは何かの因縁なのかと、喜んでいるのです。三省さんはお茶好きだった。お茶に触れたくだりを見つけることができ、今日はうれしいのです。それまで何度も詩の朗読会に顔を出し、1999年の暮れ、三省さんの暮らす屋久島一湊白川に、僕たち夫婦は結婚のご挨拶にうかがった。三省さんは2001年の8月に亡くなってしまったけれど、その年の暮れ、未亡人の晴美さんにごあいさつをした。94年刊『縄文杉の木陰にて』(廃版)に、「新茶」と題した部分があったので、引用をします…

(前略)今年は腰の重い僕を置き去りにして、妻がさっさと一人で茶摘みをしてきた。大した量ではないが、それでも大振りの深ザルに八分目ほどはあった。早速炭火をおこし、底広の鉄鍋で素早く釜煎りをする。素手では熱くて触れぬほど、もうもうと湯気を立てている新葉を、ゴザの上に広げ、次には両手で力を込めてもみ上げる。もみ上げたものを今度はあるかないかほどの弱火で、二、三時間かけてかきまぜながら乾燥させる。島に昔から行われている、いわゆる釜煎り茶の作り方である。茶の葉が小さく固く巻いて、表面にうっすらと白い粉をふくように煎ると出来上がりである。出来上がってみるとせいぜい中振りの茶筒にいっぱいの量である。

 以前は島の人々は大々的に茶摘みをし、自家用一年分のお茶はもとより、少々は親類にも分け、残った分は売りに出すほど作っていたと聞くが、今ではそういうことも次第に少なくなってきた。時間をかけて自家製のお茶を作るよりは、その分日当稼ぎに出てそのお金でお茶を買った方がはるかに分がよいからである。

 しかしながら、自分で摘んで自分で煎って、もんで乾燥しあげたお茶ほどおいしいものはない。もちろん一滴の農薬もかかってはいない。山の中で太陽と霧で育てられた本物の山茶である。僕達夫婦はお茶が好きで、日に何度もお茶を飲むが、仕上げたばかりの新茶を飲む時には、普段の行儀の悪さも何処へやら、つい改まって二人して正座をする。煎茶の道を習ったことはないが、湯呑みに熱湯を注いで少しさまし、おもむろに急須に移して時をみる。身なりはお互いに仕事着ながら、正座して茶の出る時をみる一刻の静かさは、茶席の座と変わるものではない。

 やがて心持ちか、水色もいくぶん青い新茶を湯呑みに注いで、この春一番の香りを飲めば、島に住む幸せ、山に住む有難さが、ほのぼのと身体にしみこんでくるのである。(後略)

写真は2001年の暮れ、屋久島尾の間あたりの海岸。お茶について、最近思うところあり、三省さんが、その思いをより強くしてくれた気がする。感謝です。

合掌

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