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てづくり茶の面白さは、決まりがなく自由自在なこと。お茶の本などめくってみると、煎茶は発酵させてはいけないとか、様々な分類があって、分類ごとにそのお茶のことが定義づけられていたりするが、本来は自由にお茶をつくっていいし、それこそが、自分でお茶をてづくりする楽しさ、面白さ。

てづくり茶は型通りにつくってもおいしいが、その醍醐味はなんといっても、お茶から香りを引き出すことだ。この香りのために、中国では少なくとも500年、あらゆる試行錯誤が繰り返されてきた。明の朱元璋以降、釜炒りの製法とともに、揺らすと香りが出ることや、そのコントロールを学び、その多様な可能性を開花させていったのだ。残念なことだが、日本ではもっぱら不発酵の蒸し製煎茶のみが奨励され、いつのまにか、お茶は青臭いどろどろの液体と、多くの人が思うようになってしまった。

知らない人が聞くとびっくりするが、お茶は植物の生活史一生の香りを再現する。萌え出たばかりの若葉の香りに始まり、栄養を蓄えた豆のような香り、花ならスミレやサクラの若々しい花香から、バラ、モクレン、そして梅や杏、桃のような果実の香り、その果実が熟した香り、時を経て樹木の香り、朽ちた老木から土の香りまで。おおげさではなく、お茶はすべての植物の「生の香り」を楽しませてくれるリアクターなのだ。

てづくり茶では、その不思議のほんの一部を楽しむことができる。

お茶を摘んだ後、しばらく日にあてて萎らせることを日干萎凋というが、釜炒りしやすいように水分を飛ばすとともに、お茶に潜んでいる香りを導き出す。日光の紫外線や、葉がこすれ合うといった刺激を受けると、花のような香りを発散させ始めるのだ。萎凋香というが、うまくすれば出来上がったお茶にこの香りが移行する。あまり日に当て過ぎると葉が枯れてしまうから、一旦はじまった反応を、穏やかな日陰や室内に場所を移して進め、枯れない程度に潤いを残しつつ、香りは最高というような状態で、反応を止める。釜で炒って殺青するのだ。

そのあとは揉む。酵素が生きていれば、酸化発酵が始まり、乾燥を経て半発酵のお茶になるだろうし、失活していれば、萎凋香の移った釜炒り茶になるだろう。殺青もしないで揉めばただちに酸化発酵がはじまる。すると紅茶になる。どんな香りのお茶になるかは、それぞれの工程で決まってくるから、知恵と工夫の余地があって楽しいのです。

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