処暑初候、曇り空にひんやりとした風で、静かな一日。熱ーい普洱茶が沁みた。古臭くて鮮やかな香り、お茶の体液が時間と折り合いつけて発しはじめたような初々しさもある。会ったこともないチャノキに、行ったこともない国に、どうしてこうも焦がれちゃうのか。

文化史の熊倉功夫さんは、“のむ”という行為が精神世界にかかわる行為であり、“のむ”ことを通して、神人一致のエクスタシーの世界を人々はのぞいていたのではなかったか、と書いているけれど、申し訳ないことに、今の日本の煎茶でそれを感じ取ることは困難だ。お茶の成分であるタンニンとかカフェインがいくたりの効果効能を持つだろう。かといって、それを相応に含む日本のお茶でも何がしかは得られるはず、と言われても困る。ほとんどの日本のお茶には、それがないのかなと思う。

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お茶はたぶん、大雪山野生茶2013年毛茶というヤツで、三重のMKさんからの頂きもの。ボディの強さでぐぐっと引き込まれるようなお茶だった。

僕が大好きな熊本の釜炒り茶など、飲んだとたんにほホッとする感覚が来るので、やっぱコレだねと思ってしまうのだが、これはもう2段ぐらい奥行きが深い何か。それは、表面的には香りとしてわかるのだけれど、それだけではないような何かを含んでいる。淹れ方を失敗しても特長のある香りは出るが、その何かは現れて来ないことで、やはり「何か」ある、とわかるのだ。この体感は、ネパールにも、ミャンマーにも感じた。雲南、ベトナム、福建、アジアのお茶全体に関係している。

それは時に体を熱くあたためる働きをしたり、時に気持ちを鎮めたりの体感を及ぼすものと同じ何かであるような気がしている。エクスタシーと呼ぶかどうかもわからないが、人はその作用にやはり「何か」を感じて、目に見える形や様式に結びつけていったのだろう。

先ごろ、小川流家元の小川後楽さんが、小説『草枕』にある煎茶の表現について講演をされたそうだ。中村羊一郎さんによれば、相当に上質な釜炒り茶が煎茶に伍していた時代。明治のお茶の香り高さが、より良きと信じ進んだはずの現代の品種茶に劣っているとは到底思えない。僕はその頃のお茶も、アジア共通の体感に根差していたのではないかと想像してしまう。その「何か」に明治日本の精神性が拮抗して、高められていったような挑戦的なエクスタシーとして。僕は個人主義だから、集団の様式でそれを表すことは出来ないけれど、明示のお茶に限らず、普洱茶に限らず、この体感こそは、お茶を考える根っこと考えたいと思うのです。

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