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お茶は葉っぱからつくられるが、葉は機械で摘めばぼろぼろになるし、揉むときに擦り切れたりもする。手で摘んだものでも、烏龍茶では丸く揉み込んでギュッと固めるので、開いた葉っぱもシワシワだったり、抽出の斉一性を考えて、わざわざ切りそろえたりもする。理由があってそうなるのだが、切れてない、シワシワじゃない葉っぱの姿は好きだ。

相馬耕一さんのお茶を、時々思い出したようにいただく。今日は天気よく、風もそよいで、相馬さんのお茶を思いだし、いただいた。相馬さんは、毎年1度だけ京都で開かれる吉田山大茶会でお会いする。奥様と2人、相馬さん考案のユニークな急須を販売している。急須の使い勝手をお試しくださいと、相馬さん自作のお茶を淹れてくれる。そのお茶は釜炒り茶で、べにふうき、ふじかおり、個性的な品種のお茶。極々少量を分けてくれる。おいしいので、いくつかを購入するのです。

今日いただいたお茶は、大白種という品種を育てて釜炒りしたものだ。お湯を注ぐと、シルバーチップいっぱいの葉っぱが少しずつ開く。秋の日差しにキラキラと、毛茸(もうじ)が浮かんで踊る。そしてだんだんと、揉んでちぢこまっていた葉が元の姿を取り戻し、茶水のなかでゆったりと、ひなたぼっこをはじめる。この時間が好きだ。のびのび、ぼんやり泳ぐ葉っぱをずーっと眺めてしまう。それでシゴトが進まない(^_^;)

お茶を育てて摘んで、日に晒して炒って揉んで乾かす。この流れのなかに、こうしなければというような厳密さを求めない。お茶になっていく過程もゆったりとお茶にしていくようなお茶。お茶になっていくお茶とでもいうか。今みたいな秋が似合うお茶です。

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