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高知市から北西に、仁淀川に沿って遡る山間部一帯が吾川郡。その北、ということで吾北(ごほく)という。吾北の釜炒り茶、というお茶をいただいた。山に暮らすおばあちゃんのお茶。お茶っ葉を器に、そこに熱湯を注いで、眺めながら楽しむ。これだと浸出の程合いがっよくわかるので、飲みごろを外さないし、何より、時間と共にほどけていく葉っぱの姿が楽しい。國友さんに教えていただいた。

これをそのままズズっとすするのもいいが、蓮華ですくっていただくと、最初にお日様を浴びた田舎のお茶の香り。中に甘い香りも混ざり込んで、そして香ばしくてほっとする。肥料っ気など全く出てこない。長く出せばパンチもあって、早くすすれば清らかな、飾らない味わい。葉っぱものびのび、邪気がないというか、水がよければふやけてもおいしい、手で摘んで炒って揉んでつくったお茶。お湯を足して一日中飲むお茶という感じ。お茶が近い感じがして、葉っぱの姿から、畑の様子や、おばあちゃんのことが思い浮かぶようなお茶。葉に熱湯を注いでお茶になるとき、そのお茶の山のことを思い浮かべていただくお茶。派手じゃないし香りだって田舎そのものの、素朴なだけのお茶だけど、それは、お茶のふるさとがアジアの山奥にあるのと同じように、お茶の原点である気がしました。

僕が知る限り、高知はお茶のふるさとといっていいくらい、お茶が身近なところ。山に入ればチャノキは必ず生えている。高知から愛媛にかけては、古い街道筋に、お茶をするお茶堂があって、そこで旅人がもてなされた。山の暮らしでお茶は買うものではなく、各家庭が庭先にお茶畑を持ち、手で摘んで炒って揉んでの自家製のお茶を楽しんだ。古くは空海和尚から、そして鎌倉には、明恵上人から夢窓疎石によってもたらされたという喫茶の風習も、方言に残る古い京ことばといっしょに、今も自然と親しまれているのが土佐のお茶。暮らし、自然、歴史、文化と共にあるお茶と思っている。

おととい、待ちに待った国友農園さんのお茶、今年のロットが届いた。まぎれなく、吾北の自然や文化を継承したお茶。お茶ってなんだろうと、このお茶は、そのふるさとのお茶をいただいているということでもあるのです。

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