植物にはそれぞれ香りがあり、それぞれにいとおしいと思う。動物にはないものを備えていて、それぞれが僕たちの体に作用する。物質的にいえば、水と空気以外は植物に依存しているのが動物なわけで、その植物はもっぱら土に依拠して生き、動物はその植物を通して、土を体に取り込む。雑草のお茶をいただいた。ドクダミ、スギナ、オオバコ、ヨモギ。和ハーブのお店などにも顔を出し、国内にある利用可能な様々の植物の持つ香りを生かす楽しさに、少しだけ触れた。覚えているのはクロモジ、ヤブニッケイ。植物はおもしろい。

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喫茶は、様々な薬草を煮出してスープのようにしていただくところから派生したという説もあるようだが、野草茶など飲んでみると、それは土から切り取られて暮らす動物として、とても象徴的な行為なのかなと思ったり。おそらくそれは必需品なのであって、西方の遊牧民に不可欠な茶により馬を拠出させ、その馬で帝国を支配したという茶馬交易よろしく、そこには、生きる上でなくてはならない何かが含まれていたのが喫茶。それはなんだったろうかと思いが巡る。雑草は、煎じていただくとわかるが、むせかえる草の香りでいっぱいだ。茎も葉もなく裏も表もない、精一杯の“草いきれ”。その草のいのちのすべてが差し出されたような香りから、元気な気持ちにもなり、ただただ続く、草でしかないその香りに、一種はかなさを感じもする。

様々な植物たちが、人間と交感するなかに、茶というものがある。そんな植物の不思議から、お茶を眺めていきたいと思う今日このごろです(^<^)

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