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秋につくった白茶をいただいた。自治会の知り合いの農家さんの畑の生け垣のお茶、畦畔のお茶を摘ませてもらって、つくったものだ。

お茶のつくり方を言葉で表すなら「炒る(蒸す)、揉む、乾かす」。これに工夫して、変化をつけて、様々なお茶が誕生してきた。生のお茶っ葉は、放っておけば酸化していくし、萎れていくが、実をいえばその酸化し、萎れるときに、お茶っ葉から様々な香りが生まれては消える。大雑把にいえば、その香りを知って、それを意識して引き出そうとしたのが、中国の人たちであり、その工夫や変化の成果が中国茶だといえる。

そのなかで、作り方として極めてシンプルで、かつ難しいといわれているのが白茶。その香りは上品で淡く透き通った水色、ほんのりと甘いような後味のお茶だ。なんてったって、炒らないし揉まない、ただ「乾かすだけ」。とはいえ、しっかりと葉っぱの状態を見極める能力や、葉っぱを良い状態に保てるような環境にないと良いものはできない。

僕にそんなテクニックがあるはずもなく、何の手も加えずに仕上げるお茶っ葉、というものを感じたく、「何もしない」ということを試してみたのが昨年の10月20日のこと。ということは、つくって3か月後のお茶ということです。

3か月の経過で、仕上げの時に残った酸化酵素が働き、淡い紅茶みたいな水色のお茶になっていた。これじゃ白茶じゃないなぁ、と思いつつも、香り自体はそんなに悪いものではなかった。手摘みでしかも揉んでもいないから、葉っぱの開き方だってなんともセクシーだったし。やや手前味噌に表現するなら、茶水に花香がうっすらと乗っていて、ムレた感じや生臭さもない、所謂よく枯れたお茶になっていた。結果的には、自然に立ち上がる香りを残した揉まない紅茶、というお茶。国産の紅茶に、草いきれのような香りがむっとするようなものがよくあるが、これはこれでヒントがあるなと思った次第。

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