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温厚な香味というか、気持ちもゆるっとして、いただいていた今日のお茶は、九曲紅梅という、紅茶の銘柄だった。先週渋谷の華泰茶荘さんで、特売してた台湾碧螺春といっしょに購入してたのを思い出して飲んだ。

茶壺で淹れた。細い、見るからに春の一番芽を手摘みした葉っぱは日本の釜炒り茶のようにくるっと撚れて、よく揃っている。しっかりと発酵しきって深く、表面はからからとしている。淹れればきれいな紅色で、ふっと花とお酒が合わさったような甘い香りがしたと思うと切れる、みたいな淡さもいい感じ。至ってふつうな、のどごしはやわらかく、後味は甘かった。あったまった。

このお茶のことだけではないが、ていねいにつくられたお茶はおいしい。おいしいお茶をつくろうとするつくり手なら、ていねいなつくりが大前提になる。そんなお茶は、大切に最後までいただきたくなるものだ。昔、中国だから、人件費が安いから手摘みができるだよ、とか言っていたお茶農家その人は、一番茶、機械で刈って何キロ採れるかが勝負!みたいなところに意気があったなぁなどと思い出す。へえそんなものかと記憶に留めながら、出来上がったお茶を黙々と選別している中国の茶農の女性たちの姿を、どう理解すればいいか、中国のお茶をいただけば、そのみごとな香味、そして美しい茶葉の姿に、しばらくは答えを棚上げにしていた。あれは貧しいからだけなの?

単純に、いいお茶はカネになるから、カネになるお茶にするために、しなければいけない手順を、家族総出でしっかりとこなす。そのために必要なら手間を惜しまない。彼らはとてもあたりまえの姿として、お茶づくりに膨大な手間をかけている。その手間には「かけがえ」がない。そういうお茶をいただいて「愛おしさ」のような感覚が生まれてくるのは、がさつな自分で体験済み。お茶にはそんなところがある。この歴然としたことに、中国も日本もないと、今は理解している。

この九曲紅梅は、一芯二葉で摘み、全発酵させる。浙江省杭州市は上海の南西200kmあたりにあって、すぐそばの西湖という湖周辺でつくられているそうだ。西湖といえば龍井茶の産地。「一紅一緑」とは、その極めつけと言われる獅峰龍井とこの九曲紅梅のことで、これをもって西湖の銘茶の代表を表すとは、工藤佳治先生の『中国茶図鑑』にそんなことが書いてありました(^<^)

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