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そういえばうちにもお茶のタネがあったのを、思い出した。

2月の立春に始まり、雨水、啓蟄、春分と来て清明。万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり、という。いい陽気で、確かにもう芽吹いてない草はないなあと、思っていたところ、ある方がフェイスブックに萌芽したチャのタネの写真をアップしていたのが1週ほど前。やってみればとのお誘いも受け、それではと一昨年に四国で拾ったタネを水に漬けてようすを観察しているところです。

このタネ、椿山(つばやま)という山奥の部落で拾ったのか、いの町の国友農園さんの山の茶園で拾ったのかわからない。が、土佐のヤマチャのタネということで素性ははっきりしている。それでいい。というのも、チャに純粋種なんてないと考えたほうがいいのではないかと思うからだ。

ご存知チャノキは自家不和合性といって、雌しべに自分と同じ品種の花粉がかかっても、多くの場合、受精して種子を作ることができない性質を持っている。チャノキは本質的に「雑種」なのだ。だから、挿し木ではなく種蒔きしてできた茶園のお茶畝は葉っぱの出方も形もよく見るとバラバラで、確かにこりゃ「雑種」なんだなぁと納得できる。こういうお茶をザイライといい、茶園を在来茶園と呼ぶが、1950年代にほぼ100%だった在来茶園も、今はほとんどが挿し木のお茶に取って代わられ、見かけなくなっている。そこで、今もザイライでお茶づくりをしている貴重なお茶をいろいろと飲んでは試し、実際に畑に行ってそのチャノキを観察もしているワケだが、このザイライ、ひと括りに「雑種」と切り捨てるような「雑」なものでは決してないゾ、というのが、今のところの僕の結論になっている。


九州には九州の、近畿には近畿の、四国には四国の、静岡には静岡の姿が、香味が、違いとして確かにあると思える。姿として、昨年伺った水俣のザイライ茶園は見事な黄金色の萌芽を見て違いを感じたし、根の香りというか、チャという植物の体臭というか、芯から滲出したときの滋味のようなものにも、地域ごとの違いを楽しむことができる。そのような、その地域の味わいに出合えた時、ちょっと感動もする。これでいいのではないか?

そんなことを考え、さて、1年以上も乾きっぱなしのこのタネ、芽を出してくれますかどうか……

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