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きのうにつづいて西荻つながりのお茶話です。

4月のGW前、西荻の茶房あすかさんに立ち寄った。店主の渡邊恵子さんと九州の釜炒り茶の話になって、熊本の山都町、矢部の下田茶園さんを知ってるかと聞かれ、ああ矢部の下田さんと、そのお茶を思い出し、話も弾んだ。

僕は2年前、熊本は馬見原の先、あとちょっとで宮崎五ヶ瀬町という蘇陽町で釜炒り茶を作っているTさんちを訪ねた。その帰途、路線バスを乗り継いで五家荘に戻る途中、通潤橋というところでぽっかり待ち時間ができ、道の駅など物色した。さすが釜炒り茶の本場、たくさんの釜炒り茶が並ぶ中、目に止まったのが下田さんのことが書かれている新聞記事だった。記事は、下田さんが釜炒りの機械を自作して、昔ながらの手炒りの釜炒り茶の風味を再現したとあった。興味をいだいた。

そのころすでに、僕は道の駅にたくさん並んでいるような釜炒り茶の、青臭くて煎茶ぽいような、ぬるっとした感じが好きになれなくなっていた。それはもっと昔、五家荘のFさんにお会いした頃からの確信になっていった感覚なのだが、記事を読むと、どうも下田さんご本人も同じような思いから、新しい自動機械をつくったようなのだ。

s-DSC_0649(2煎目、水色は明るく、旨味は濃くなりました)

渡邊さんは言う。下田さんのお茶も最近は機械も大きくなって、昔は小さくつくっていたと。そして僕が新聞記事の話をすると、そうそう、10年以上も前のお茶があるよと出してくれた。びっくりするから飲んでみなさいと、賞味期限が2003年12月、ということはおそらく2002年春の製造。僕は渡邊さんから、なんと12年前のお茶をいただいてしまった。

このお茶を淹れた。袋から開けた茶葉は細くよれ、茎もどとんど見当たらない、手摘みのような、碧螺春のような繊細さ。葉色の青さは深いが、鮮やかさは12年ものとは思えない。全体に、このデリケートな感じから標高で400とか500メートルはあるだろう山のお茶を5月も中ごろ、ほんとに萌えだした頃をお茶にしたものだと思った。揃いの良さから、機械刈りなら相当に管理された茶畑が想像されるし、細よれの茶、気合の入り方とウデの確かさも伝わってきた。

熱湯で器を温め、200ccに5gと僕にしては多めの茶葉を松風、熱湯にて90秒。

透明な水色が美しい。さすがに新茶の香りはないが、なんとまろやかな、それでいて間違いなく青柳の香ばしさ。渋み苦味はなく、底に若い龍井のような豆様の青い旨味が、1煎目で淡く加わる。それは2煎目で広がって「おいしい」になる。喉奥に回甘の余韻はかなり長く続く。ヘタクソな僕で3煎。香りもとぎれなかった。

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話はそれるが、釜炒り茶の殺青温度は、こちら熊本あたりでは低くても300℃以上、おそらくは350℃あたりを理想と言う生産者が多いと思うが、静岡に来ると、何をお手本にしているのか、それでは高すぎるとなるようだ。でも、僕が好きな釜炒り茶は400℃以上の丸釜で生葉をチリチリ言わせながらつくっていく青柳式というもの。その丸釜で少量ながら、昔とほぼ変わらない造りの釜炒り茶を作っているのがFさんなのだけど…

さて、新聞記事は2007年のものだった。記事にはこう書いてあった…
…上益城郡山都町犬飼の茶農家、下田房夫さんが、昔ながらの「手炒り」の釜炒り茶風味に近づけた、独自の「自動炒葉システム」を開発した。機械炒りの弱点を徹底的に研究し、加熱の仕方などを工夫、溶接技術まで学び、十五年がかりで造り上げた。…本来の釜炒りは、高温の釜に生葉を入れた時、一気に熱が加わり「パチパチ」と音がする。しかし、機械炒りではこの段階がない…

これは昔五家荘のFさんが言っていたのと同じことだ。そして、渡邊さんからいただいた12年前の下田さんのお茶は、新聞に取り上げられた機械ができる以前のものだ。渡邊さんが僕に伝えたかったことはここらへんにあるのだろう。下田さんが目指した昔のつくりとは、おそらくはカネコ式などよりまだ古い、ほんとうの手炒りの丸釜のことなのだ。で、いただいたお茶の、あのていねいなつくりは、400℃近い高温で葉をチリチリ言わせながら、それでいて焦がさず、葉と釜の表面に発生する熱の塊を抱え込むようにしてできる、30kg以下、小型の動力式の丸釜だったのではないかと思う。下田さんはおそらく、その釜でできるお茶のうまさを再現しようとしたのだろう。

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渡邊さん、貴重なお茶をありがとうございました。
次に伺うときはFさんのヴィンテージを持っていきます!

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