常茶と浄茶…三省さんと八重子さん

09 月 21 日



以前投稿した記事「三省さんの釜煎り茶」で、僕の敬愛する詩人・山尾三省さんがお茶好きであること、そしてそのお茶は手づくりの釜炒り茶だったことを書きました……

自分で摘んで自分で煎って、もんで乾燥しあげたお茶ほどおいしいものはない。もちろん一滴の農薬もかかってはいない。山の中で太陽と霧で育てられた本物の山茶である。僕達夫婦はお茶が好きで、日に何度もお茶を飲むが、仕上げたばかりの新茶を飲む時には、普段の行儀の悪さも何処へやら、つい改まって二人して正座をする。煎茶の道を習ったことはないが、湯呑みに熱湯を注いで少しさまし、おもむろに急須に移して時をみる。身なりはお互いに仕事着ながら、正座して茶の出る時をみる一刻の静かさは、茶席の座と変わるものではない。
…「新茶」:山尾三省『縄文杉の木陰にて』(廃版。94年刊)より引用

……屋久島で田畑を耕しながら自給自足の暮らしを続けた詩人、山尾三省さん。僕は山尾家の手づくりのお茶を綴ったこの一節が好きです。そしてこのくだりから、同時に小川八重子さん(故人。煎茶道師範、常茶会主宰、『暮らしの茶』著者)が唱えていた“常茶、浄茶”のお話が浮かんでくるのです。常茶とは、ジョウチャと読みます。常茶の上に“日”をつけると日常茶。すなわち、普段に飲んでいるお茶のこと。今のお茶は緑色をしているけれど、昔のお茶は茶色かった。常茶とは、日常茶飯の、ご飯とお茶とが共にある、そんなお茶のことです。


では浄茶とは何か。かつて韓国の禅寺で催された天空の茶会のお話しがあります。禅僧と共に摘んだお茶を、寺に備え付けの専用の釜で夜までかかってお茶にしたそのお茶を、深夜に月明かりの下、皆でいただいたときのお茶のありようこそ、浄なる茶、浄茶であると、八重子さんはその境地を記しています。

八重子さんは、お茶では“香り”こそが精神に働きかける役割を持っているとも説いています。そして、現代のお茶からその香りが失われてしまったことを大きく憂えていました。

…完熟した在来の茶畑の近くに行きますと、いい香りがしてきます。熟した葉を摘んで手のひらにのせると、手のぬくみで発酵がうながされて芳香を出しはじめます。鎌倉の山の奥に野生の茶の木があるというので、何人かで茶摘みに行きました。帰りの電車の中、みんな紙袋に顔をつっこんで、「あー、いいにおい」「あー、いいにおい」の連発でした…
(「私と茶」…小川誠二編『小川八重子の常茶の世界』より引用)

…茶園の品種化といって、それまでの実生在来の茶園が、やぶきたを筆頭とした挿し木の品種茶園に改植されはじめたのは昭和33年からのこと。その結果、今では全国のお茶畑の95%は“やぶきた”という単一の品種で占められています。ここで八重子さんの言う“いい香り”とは、在来園の放つ香りであって、今でいう品種茶の香りではありません。

さて、お茶飲みが大好きだった三省さんの家では、自家用の釜炒り茶を普段のお茶、すなわち常茶として飲んでいた。そしてお茶摘みしてお茶を炒ってつくった新茶を最初にいただくとき、その“普段のお茶”は、2人が改まって正座していただく“浄茶”になりました。

“身なりはお互いに仕事着ながら、正座して茶の出る時をみる一刻の静かさは、茶席の座と変わるものではない”

その時、三省さんたちが日々を暮らすその場所は聖なる空間になり、浄なる時が流れたと思います。自給自足の暮らしの中には聖俗が一緒に住むというか、そこには常と浄の境目がなかったのです。かつては三省さんの暮らす屋久島も、各家庭で必ず自家用のお茶をつくっていたといいます。そんな自家用のお茶はおそらく、種で殖やした実生の在来のお茶だっただろうと思います。もちろんどの家庭も、自家用のお茶に農薬や化学肥料など使うはずもないし、ましてや三省さんのお宅なら、肥料そのものも与えてはいなかったでしょう。三省さんが飲んでいた在来のお茶はどんな香りを放っていたのでしょうか。

お茶の在来という存在。つれづれと、在来に思いを馳せる人たちや、お茶の在来を巡るお話しを綴っていきたいなと思います。

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