よく使われる陶製の紅茶のテイスティングカップ。並べて瞬時に可否を決めてしまうプロっぽさというか、無機的な感じがどうもぴたっと来ない。というか瞬時に可否を決められない自分。独学なのだから瞬時ではなく、じっくりつき合わないとと。ふと思い立ってワイングラスを使ってみた。

これがなかなか、なかなかに良い。口がすぼまったワインのティスティンググラスは、香りを上手にためてくれる形。小ぶりで手に持って揺らしながら香りの立ち上がりを待つ感じも良いし、びみょうな違いも受け止めやすい。デカンタージュよろしく泡立ち気にせずドボドボ注ぐとまた香りが立つ。時間をおくことで最初の香りとその後の香りの違いを感じ取るのにも向いていると思います。さらに水色が美しく。良い色のものなら、自然の光にかざしてみたらわかる、キランキランです。まるで淹れてくれた喜び全身で表現しているみたいである。

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以前何人かから聞いた話、茶商さんはおいしいお茶でもすぐにおいしいとは言わないと。むしろ欠点、栽培から製造、管理に至るミスを確認する関係なんだと。そこで値切るのが茶商さんの商売で、そういうふうにいじめられながらも生まれてくる良い関係が信頼関係なのであると……。僕は業界の人ではないから、このこと云々しませんが、ふと思ったのは、ティスティングカップも、そういう関係のなから生まれたのかなということ。直球で言うなら、欠点を見つけるツール?

その点ワイングラスはなんとも官能的であって、機能的にも、そのワインの「良さ」「潜在能力」を引き出すように作られていると思う。そこにカトリック的な喜びだって僕は感じてしまう。なんとか良いところないかなと、そんなふうにグラスを回してしまうのです。そのしぐさは普通の人が食事を楽しむ時と同じ。

まあ、それだけではありませんが。たとえば国産紅茶で常々思っていて、このワイン式のティスティングでわかりやすくなったことがあります。酸化臭のことです。ワインでは敏感に感じようとするのに、熱湯に近い温度で入れる関係か、紅茶ではこのニュアンスにやや鈍感な気がする。ん?とまでは違和感を感じるのにぐっとこらえるというか(笑)。 まあ、酸化させてつくるのだからとあえて気にしなかったとも言います。

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ところがグラスだと紅茶の酸化臭がピンとわかってしまう、と思う。これワインだったら飲まねーよなーという。ワインのときの感覚標準が働いてくる気がします。これは僕にとっては正解。もっと試していかないととは思うが、紅茶はワインと同じ基準で味わっていいものなのかもしれないです。紅茶で軽い酸化はいい。でないと紅茶にならないから。けれど、酸化でボディやコクが形成される(と言えばいいのか?)ような紅茶どうなのかなという基準です。難しいと思うのは、タンニンなどのボディをつくる成分は、ワインの場合は熟成によってそこからさらに深い「ブーケ」が生まれるのに、紅茶では酸化というアプローチしか手立てがない。そこに敏感になって紅茶を眺めていくのは、良いとっかかりになると思ったわけです。

さてこの方法、濃い目に抽出したものを冷まして試すと、まんまワインそのもので、温まり具合で香りが違ってくるからなお楽しい。アロマもブーケも、いったところ。何度もびっくりしますよ! あくまでテイスティングということで。純粋に楽しむものは、この良さを取り入れた、ワイングラスとは別の形のものがよいとは思います。

*ちなみにワインのテイスティンググラスは国際規格で大きさ形が決まっていて、値段もバカラだのリーデルだのではなくかなりお安いです(^^ゞ

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