お茶をいただくときの設え、が気になっています。

お茶の文献など調べ物をするために時々通っている埼玉県の入間博物館には、常設展示に、桃山時代の「一服一銭小屋掛けの茶屋」が復元展示されています。下の写真がそうです。すてきでしょう? 元になった「珍皇寺参詣曼荼羅」の部分、小屋掛けの茶屋もすてきです。絵にはこんな茶屋が5軒も並んでいます。
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展示の説明書きを転載します……

庶民へのお茶の広がり
鎌倉時代に栄西などによって広められたお茶は、室町時代になると庶民のあいだにも普及しました。ひとびとの信仰の場でもある寺社の門前には、一服一銭の小屋掛けの茶屋が立ち並び、参詣の人びとを相手に茶を売っていました。
この茶屋は、桃山時代(16世紀)のころ、京都の六道の辻といわれる珍皇寺の門前に立てられた小屋掛けの茶屋を復元したものです。丸太の柱に板葺の屋根という簡単な建物の中では、主人が竈で湯を沸かし、茶筅で点てた茶を売っていました。客は床几に座り、あぶり餅を食べながら茶を飲み、楽しいひとときを過ごしていました。
このころ行楽や祭礼などで人が集まる所には、茶道具を荷なって茶を売り歩く光景も見られるようになりました。

珍皇寺参詣曼荼羅  安土桃山時代・16世紀 京都六道珍皇子寺蔵

珍皇寺参詣曼荼羅  安土桃山時代・16世紀 京都六道珍皇子寺蔵

……なるほど。桃山時代といえば利休の頃。この先、利休のお茶が武家から民間へと継承され、時を経て今の三千家に連なる流れになっていきますが、桃山のころのお茶は、まだその黎明です。茶の湯が、庶民の無垢な楽しみとして受け入れられかけていたんだと思います。同じ時代の、かの有名な北野大茶会は、(秀吉の思惑はさておき)お茶好きならば武士町人百姓を問わず、服装・履物・席次も問わずの畳二畳、野点の席で賑わったそうです。

そんな頃に、一服一銭小屋掛けの茶屋がありました。

お寺の門前のあばら屋のあるじは、竈に茶釜、湯に柄杓、椀に茶筅で茶を点てました。城郭のりっぱな茶室も、作為もない、あるがままの小屋掛け。一服一銭がどのくらいの金額か、寺社巡りの庶民に振る舞う、いっぷくだけの小屋です。世間話、たわいなくほっこりと、浄と常のはざまのような一期一会。茶屋のあるじが茶筅をふるうその風景に、お茶を喫する素朴な姿があった気がします。

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