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この2年ほど、めっきりコーヒーを飲まなくなった。たまに飲んでもほとんどの場合「まずっ!」となって、ミルクでもお砂糖でもなんでも放りこみたくなる。なので遠ざかる。体質が変わったのか、今では身構えるというか。ゼッタイに拒否、ということでもない。良いものならこんなはずはないんだから、ちゃんとおいしいコーヒーに巡りあわねばと。どなたかオススメありますか?…と、お茶とコーヒーのことは、思うところがたくさんあるし、市場での広がり方受け入れられ方も含めて、自分のためにも色々と考え深めたいところ。今日はお茶と体質についてのお話しです。

左能典代さん『茶と語る』に、こんな話があった。左能さんがご病気か何かで一カ月ほど大学病院に入院したとき、差し入れに届いた肉桂と水仙-岩茶ですね-を飲んだんだそうだ。

病院食で身体が浄化されたか、左能さんその日は真夜中過ぎても眠れなかった由。もともとカフェインに強い体質、岩茶房、お茶ざんまいの左能さんである。ご本人もびっくりして、現代人の生活が清浄さからいかに遠く、今を生きる人々の五感の鈍さを、そして昔の人間がきっと、今よりはるかに臓器がきれいだっただろうことに思いを馳せる。それはこんなお話し…

鎌倉時代。かつて栄西に師事した道元は、茶を禅の教えに結びつけ布教する中で、病を癒し、庶民たちの救いとなってきたその茶が、大きな不評と反発を招いてしまったことがあったそうだ。お茶は体に良いというが、飲めば眠れなくなる。起きていれば腹が減り、しかも起きているなら働かなければならないではないか。そんなお茶など飲みたくない…。それほどに当時の人々の体は敏感で、茶の効き目も大きかったのだと。…なるほど。

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今だって、お茶を飲んで夜眠れなくなる人はいる。でも、左能さんが指摘するように、昔の人の内臓がとてもきれいだったろうことは想像としてすごくわかる。農薬も化学肥料も合成添加物も、工業生産品のような、いわゆるジャンクフードだってなかった。食べ物はすべからく自然からのいただきもの。あのヨーロッパの三圃式農業-家畜を導入して穀作、牧草、放牧の3つを循環させる。有畜複合農業のはじまり-だって15世紀ごろなのだから、鎌倉であれば、畑で有機肥料を与える発想すらなかったのではないだろうか。夢みたいな清らかな世界だ。

僕はそんな時代のお茶を考える。そして、今の時代にあって、品種茶がもてはやされ、昔ながらの在来の茶畑がどんどん放棄され、あるいは改植され、消えていくことを考える。そのうえで、昔の人々のように、昔ながらのお茶を、そのころのお茶のように感じてみたいと思う。お茶なら実生で根っこが岩までずんと通っているお茶。…人もお茶も清らかで、人は刺激に弱く、細かなニュアンスにも敏感だっただろう。肥太りのないお茶は葉っぱの隅々まで大地の生気に満ちていただろう。

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