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昔のお茶は、鎌倉のころなら、山に雑種の種を蒔き、肥料もふらず、萌え出た分だけ摘み取る、株立ちもばらばらな半野生的なものだった(と思う)。

今のお茶は畑で土を肥やし、単一品種のクローンの苗木を植えて一直線の株にする。剪定した株から萌え出た葉っぱを、乗用の摘採機でごっそりと刈り取る。作物の中でも群を抜いて施肥量が多いので、地下水汚染の原因になったりするし、たくさん収奪して木が弱りやすいから農薬の世話にもなる…

肥料をたくさん与えるのはたくさん収穫するためだろうが、肥料が過ぎると、その肥料っ気が葉っぱに溜まっておいしくないと思う。ほどよい窒素肥料は光合成で作られた糖と結びつき、テアニンなどの旨味になるが、過ぎれば硝酸塩として溜まり、こういうお茶を飲むと頭が痛くなったりする。時々カフェインで頭いたーいなどと聞いたりするけど、カフェインは鎮静作用。頭痛を鎮めるものです。


…以前、岩手で焙茶工房しゃおしゃんを主宰している、“しゃおしゃん”こと前田千香子さんから、こんなお話しをうかがったことがあった…

「小川八重子さんがお煎茶を飲めなくなったといっておられるけれど、私のお茶の師匠も、まったく同じことを言っているんです。昔の僧侶は昼に食べ物を食べず、お茶だけを飲んで修行をした。ところが、今の中国台湾のお茶は空腹では飲むなといわれる。それはどうしてかというと、お茶の作り方が違うからだ、という結論になって、師匠は、空腹でも飲めるお茶をつくろうと思ったんです。そういうお茶はどういう条件でつくれるかといえば、清いということと、それを適切に焙煎するということなんですっけ…」

前田さんは、中国台湾で修行を積み、盛岡をベースにお茶会をしたり、気仙茶という、岩手の在来茶の取り組み「北限のお茶を守る会」の活動をしている。東京にこられるときに、お茶会にときどき参加しては、そのお茶観に学ばせていただいている。小川八重子さんは、名著『暮らしのお茶』の著者で、煎茶道師範としてお茶を教え、学んでいくうちに、地方のお茶にこそお茶の本来があると、晩年は九州四国の釜炒り茶や番茶に傾倒していった方だ。

今の時代は刺激が多く、かすかな、淡いものへの感受性も、昔に比べたらずいぶん鈍くなっているのではないかと思う。自然にはなかったものも気づかずに摂りこみ、何がしかの耐性を身につけていくのか、体は強い刺激に少しずつ慣らされていく。淡く繊細な味わいからも遠のいて、コーヒーなど他の飲料との競争も手伝って、作り手も飲み手も風味が強くはっきりとしたものを求めるようになる。手っ取り早く生産性も上げたい…。茶碗の底が見えないような緑色のどろどろのお茶など、今の時代を象徴しているみたいだ。

だから、昔のお茶への思いもつのる。

クローンではない、種から育ったお茶は、はるか昔のDNAを今に伝えてくれている。在来のお茶、と呼んでいるが、残念なことに戦後の改植で日本にはわずかしか残っていない。しかしお茶には、そこから古へと辿っていくことが許されているのだと思う。思いをあたため、良い時を今に蘇らせてくれるお茶に出合いたいなと思う。

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