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熊本水俣桜野園さんから在来の自然栽培茶「結」。

このお茶飲んでいて、園主、松本和也くんと最初いつ会ったのかなと考えていたら、それはボクが初めて水俣に行った時じゃんとよく覚えていた。当時勤めていたところのお茶担当(ボクの後任の後任ぐらい)と誘い合って、彼のところに少しだけあいさつにおじゃました。で捜したらたった1枚、お茶とおまんじゅうだけが写っている写真が出てきた。そのとき水俣で撮ったたくさんの写真でこれだけぽつんとあって、ああ、と思った。記録では2005年12月17日。商談でもない感じで、うろ覚えなんだけれど、いい急須があっとですと急須の話をしたような。

どうして彼に会いに行ったのかといえば、前段がある。食の学校だ。ボクがRadixの会の事務局長をしていた関係でおつきあいしていたNGOで、つくり手主体で食を学び流通や小売の無理解に風穴を開けようと研修や勉強会を定期的にやっていた。そこで和也くんのお茶がおいしいと静かなブームになっていたのだ。

この食の学校を主宰しているのが塩川恭子さん。りんごの木村秋則さんはじめ食をめぐる様々なテーマや人を発掘して世に送り出すプロフェッショナルな人で、その後も色々とお世話になってるのに不義理で頭が上がらない。その塩川さんが「このお茶おいしいわよ」と教えてくれたのがきっかけだったと思う。7月はその塩川さんにも久しぶりにお会いできそうで楽しみ。お茶のこといろいろ話せたらなぁと思っています。

葉姿

一番茶の素朴で鮮やかな葉姿

さて、和也くんのお茶をいただいた。蒸し茶ということで最初は久しぶりの低温淹れで、60度ほどの湯ざましで1分、水色淡いうちにすすってみると旨味が来た。ふつうこの旨味のアタックがきつすぎて、またはその旨味に含まれるなんともいえないエグさゆえ、いつからか蒸し茶を敬遠するようになったのだけど、これは心地よくスッとした。花のように、というほどではないけれどお茶の花香と呼ばれる成分がほんのりと香っていて、ああ、これはできたてならではの香りだなと楽しくなった。

機械摘採で裁断もされているけれど新茶の小さな葉っぱが見て取れ、湯を吸い込んて生気を取り戻すのも新茶ならでは。在来のいろんな色合いの葉っぱ、萎凋で色づいた葉っぱ。色鮮やか、やわらかく出も良いので、渋みの効いたとろりとしたボディが楽しめるが、低温短時間で煎を重ねて水色を見るのも、その香りゆえ楽しい。こうした微妙な感覚をじゃましない程度に火を入れるウデもたいしたもん。そして肥料の関係と思うけれど、茶水が一貫して甘く、喉には渋みを感じた分の甘さが回って戻ってくる。ここらへんが無肥料自然栽培のいいところ。今でこそ無肥料栽培もよく耳にするようになったが、彼はボクが出会った頃から取り組みを進めていた。大げさではなく先達といえる。ここらへんのことはどこかでちゃんと書きたい。

最初の出会いのあと、和也くんと宮崎の椎葉村を訪ねたこともあった。たしか6月のことで、今思えば1茶田植え終わって2茶が始まるような時期、お子さんも小さかったからパートナーの里実さんもきっと怒っていたろうなーなんて。でもその旅は、ボクが釜炒り茶に惚れ込んでいくきっかけになった大切な思い出になっています。

秋、じっくりと熟成したときがまた楽しみ。
ごちそうさまでした。

2煎めでとろりとボディが出た「結」。

2煎めでとろりとボディが出た「結」。


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