mimasaka-14-20150816-142746暑い夏の一日、美作市海田に岡山県伝統の美作晩茶を訪ねた。岡山で昔から親しまれてきた美作晩茶は、夏の成熟した葉を枝ごと使い、薪火の力、太陽の力、そして煙の力で焙じてつくる。するとお茶特有のエグ味やトゲトゲしさや、成分が煮詰まったようなクセの強さは甘香ばしさに転じて、まろやかでコクのある、すてきな暮らしのお茶になる。市内から旭川沿いに北上、途中東に折れて吉井川、吉野川と伝って途中を右に折れて村道をのぼっていく。ちらちらお茶畑が見え始めるとそこが晩茶の里・海田。小林芳香園さん。5代目の小林靖旦(やすかつ)さんと、パートナーの三重子さんが迎えてくださった。

伺った日は岡山市内が37.3度を記録した真夏のどまん中。こんな日はさすがに植物たちも元気はないし人間だって危ない。だから特に昼の3,4時間、野良仕事はお休みだ。ところが美作では、風もなく、ただギラギラと真夏の太陽が照りつけるようなこんな日が働きどきの、まさに“晩茶日和”なのだ。作業は天気のいい夏の早朝から始まる。太い薪に火をつけ釜の水が沸騰したら前の晩に枝ごと刈り取った葉っぱを投入、ぐつぐつと煮ること1時間ほど。青々とした葉はしんなり飴色になってやさしい表情を見せてくれる。釜から揚げて、炎天下、露天に準備した作業用シートにあけ、広げていく。午前でも10時を過ぎれば地表で40度を超えてくるのでまさに灼熱。干し始めたら煮汁はそのままに、次の茶葉を投入し、煮ては干すを繰り返していく。


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ここ美作で、晩茶は昔からつくられ飲まれてきたそうだが、そのつくり方がいつから始まったのか、はっきりしたことがわからない。ただ、小林家が緑茶づくりを開始したのは文久2年(1862年)から、ということが記録によりわかっている。日米通商条約が1858年なので、当時はまだ諸外国との貿易も始まったばかり。開国日本の貿易品目筆頭が絹とお茶だったのだから、初代の小林源助翁は先見の明があったといえる。当時美作の田舎で電灯がついていたのは小林家だけだったそうで、飲み茶(晩茶)では食っていけんからと、以降は換金用のお茶をつくる農家も増やし、地域の茶業としてなくてはならない存在になっていた。

小林家は、飲み茶としての晩茶もつくり続け、現園主・靖旦さんまで、今の時代に美作晩茶を伝えている。「最初の干しで枝がポキポキ折れるくらいカラッカラに乾かしてから、煮汁をかける」。乾いたように見えても中に水が残っているんは折れんのよ、と靖旦さん。このお茶づくりは天日で干すだけではなくて、このカラッカラのタイミングで煮汁をかけ干し、かけて干しを繰り返して仕上げていく。だからこの季節、夏の太平洋高気圧がどっしり居座り、南からの暑くて湿った風は四国山脈を通ってカラッカラの熱気の塊になって届く、今の季節でなくてはいけない。干し上がりのツヤ良く風味の良い晩茶は、この暑さがなくてはつくれない。予定が遅れて盆明けまで作業が押すと効率が半分に落ちるほど、梅雨明け土用の太陽の力は強いとも伺った。

風と雨が大敵だ。炎天下、靖旦さんは、うまく葉が返るよう歯を抜いたヤツデで広げた葉を切り返しつつ、釜で煮ている次の葉の様子や薪火の加減、そして太陽と風の変化にも気を配る。ひと雨降ればせっかく干したお茶がダメになる。先週、台風が来た前日はよく晴れた“晩茶日和”だったが、ちょっと油断した隙に大風のひと払い、シートごと持って行かれ枯れ葉と散ってしまったとか。
 
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この煮汁が聞きしに勝る存在感。クサヤのつけ汁とか柿渋とかを思わせるすごい色合いをしている。臭いは草の煮えたような感じでさほどではないが、2、3回煮込んで煮詰まったものを使うそうで、インパクトはその濃さだ。まさに夏の成熟した茶葉のエキスが凝縮した味わいなのだろうが、その濃さはブリキのジョーロで撒いていく黄土色の飛沫でよくわかった。

ハッと気づいたのは、飲料には水とは違うボディがあり、それが飲み下すときの体液濃度のバランスを生んで飲後感になる、ということだった。そうか、美作晩茶は煮汁がそのボディをつくっている。阿波晩茶や碁石茶は菌体蛋白や乳酸がボディを生み出す。酵素完全には殺さず、少しずつ変化させていく、普洱茶のような晒青(さいせい)緑茶は、ボディとなる部分要素の変化を楽しむお茶ということか。こう考えると、昔の人々がお茶を自然との仲立ちとしていかに上手くつき合ってきたかに触れられたようでうれしい。お茶の一面ではなくて、全体性のようなものだ。美作晩茶は、干し上げ半年以上の熟成を経て焙煎、再びの熱変性を受けて、さらに香りの高い製品になるが、煮汁のおかげで、しっかりとしたボディを保つ。

…海田の土地を感じようと、小林さんの裏山に登ってみた。山の上には栗畑わきにたくさんの茶株を観ることができた。昔人が植えただろう切り株から自然生えで再生していて、お茶たちが少しずつ野生に戻っていく姿が見られてうれしかった。が、とんでもない暑さで早々に退散、この季節の山の作業がいかに過酷か身を以って知った。ここにくる途中ところどころ放棄された茶園が見られたけれど、高齢化も手伝い、夏のお茶刈り作業をする農家は、案の定年々減っているそうだ。そんなこともあって、小林さんは自社農園を少しずつ増やしている。春のお茶摘み体験などでも使うお茶園は昔ながらの実生の在来茶園。農薬も肥料も使わない自然栽培なのだそうだ。また伺いたいと思います。

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