蘇陽のお茶届く。 野生的な丸釜を操って、よく締まった勾玉の乾葉は、か細い新芽にも崩れがない。炒りは鋳鉄の輻射熱を維持するために高温を保ち、時にあおって熱を逃がす。揉みはやわらかく捻っても、火が通っていればしなやかだし、そのためにはお茶の摘みごろが肝心だ。 ふっくらと、粘りある厚ぼったいようなのがいいのだが、今年は遅霜もなく、すくすくと行った。こんな年は伸びよく緻密な葉になるから寒い山のお茶、それもカネコ式の高い温度で攻める釜炒りにいいのだ。 見た目は棒も混ざって、ふつうなら?のつくところも、仏様の螺髪のような、力強い巻き込みはどうだ。近寄ってかすかに立ち上る香気を、遠熱が茶葉を締めて発し続けている。こんなお茶にはたぶん、2年3年後がいいのかもしれないなぁ。 淹れ下手な僕でも、4煎5煎と重ねるお茶。おそらくは、半島に連なる上質を継ぐお茶と思います。 tags / カネコ式, 熊本, 蘇陽, 釜炒り茶 « 高知のお茶は1200年。 お茶の縁 »