時々考えるのは、お茶を飲んでるのか、お茶に飲まれてるのかということ。

喫茶、お茶するお茶は、、空気や水との距離感も含めて親和して同化する感じがする。お茶は比類がない。
何か様式格式を持ち込むのもいいが、そうではなく身体の内側か、身体を包んでいる世界を感じたい。効用やイメージもいいが目的もなく。
するとざわついたことはまるく考えたくなるとか、お茶との波長が合ってくる。そのお茶のなかで、物事がめぐっているような気がしてくる。
お茶の色や香り、肌あいなど感じていくうちに、お茶との触れ合いが、徐々に始まっている。
どうしてかはわからない。ただお茶はアジアで唯一無二の、しかもどこにでもある植物であり、お茶を通して土からの何かの揮発をいただいていることを考える。と、お茶が生き物を通して自然の何かを届ける触媒になっているのではないか、と思いが至る。

やはり、人はお茶に飲まれるのだ。

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