すてきなお茶を3グラムだけ、いただきました。今年の新芽一芯一葉、手摘み手揉みの紅茶です。品種香あとのすっきりした萎凋香、チャノキの内質と3段階で技術の確かさ。しかもやぶきたで、きっとそこにも蓄積があるのでしょう。売るではなく、手順やお茶の状況を確かめるような。明るく透き通った水色、香りをたのしむお茶づくり。それを言った通りにする人、少ないなと思う中で。

これまでいただいてきたお茶、出会ってきたお茶の作り手を振り返ると、お茶の香りを引き出す「すべ」を知っている方が少なからずいるなと思う。僕が釜炒り茶の衰退を茶業近代化と絡めて調べていた2008年前後、そんな「すべ」を自らの製品に生かし、チャノキから香りを引き出す「すべ」は、それまでの「煎茶」の常識とは別の流れを汲むものだと意識していた人はとても少なかった。萎凋はあいかわらず「悪」で、釜炒り茶は効率も品質も悪い「いなかの飲み物」、だった。

あの頃の学びから、僕はお茶に香りの可能性と、いなかの飲み物としての可能性を楽しむようになった。

お茶の香りは「フシギ(不思議)」と同義のように思う。ただの葉っぱからなぜ、あれほどの多様な香りの世界が生まれるのか。人がその多様を嗅ぎ分けて楽しめるのはどうしてか。きっと理由があるのだろうし、香りを引き出す「すべ」も、それが特殊な才能なのか、何かの法則によるのか、興味は尽きないのです。

さておき、今日も心地よいお茶の香りに包まれて、ひととき幸せな気分に浸ることができる。
いなかの飲み物についてはまた別のお話になりますね…

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