洗練された、平釜式の釜炒り茶を今に伝える達人。
このお茶は心を整えいただくことが多い。

蘇陽は阿蘇の南、九州山地の入り口にあたる。

九州の山々は釜炒り茶のふるさと、農家の土間には大きくて立派な平釜があって、昔から自家用のお茶をつくっていた。明治には輸出用のお茶をつくり、そこから機械化が進んだ。そうなってしまえば蒸し茶に勝てず、あとはずるずると衰退していった。今では昔ながらの釜炒り茶にはなかなか出会えない。というかもう出会えないのではないか。

今年の春を最後に熊本は旧泉村の船本さんがお茶をやめることになった。
おととしは波野の東さんも。

九州の山の釜炒り茶には山の暮らしのつくろいに、青磁の気品をまとったような美しさがあった。それはまぎれもなく、つくり手たちが目指した上質。近世から昭和の中期までだろうか、激動の時代に九州の山のお茶は沸いていた。佐賀嬉野では傾斜釜が開発されてどんどんと釜炒りの緑茶で量産、輸出を進めた。ところが宮崎熊本はあいかわらずの平釜で、手づくり暮らしの茶。ただ、つくり手のウデを磨ける製だった、韓国の献上茶の技術も加わったか、そこに山のお茶のやすらかさ、特有の釜香(かまか)のなつかしさの中に受け継がれた。そのお茶づくりには、お茶を組み伏せるような野太さ力強さが不可欠だが、韓国南岸のお寺のお茶に通じるような繊細さが加わって、洗練された。今も現役70代80代のお茶農家にはその記憶があるので、目指す釜炒り茶の味も香りも、それぞれの今に伝わってきていると思う。

そこが、もう危ういのだ…。

コロナも明けそうだ。最後になるかもしれないけれど、そのことをどうしようか、なつかしいお茶の先達に伺い、行動を考えていきたいと思う。

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