山の釜炒り茶

06 月 09 日



四国のヤマチャに触れたくて、今年は今日までに3月と5月の2回、高知の梼原から愛媛の久万、高知に戻って仁淀町、吾北、本川、大川村を行き来した。

愛媛は久万高原町、松山からも高知からも遠いところで、こちらでは今も自家用のお茶を手作りで作るご家庭が多い。お茶摘みの日はお茶を炒る日、揉んで干す日であり、立夏八十八夜の前後はゴールデンウイークでもあって、毎年恒例とばかり町から子どもたちがやってきてにぎやかな家、こなせる分だけと老夫婦でつくる家と様々。共通なのは、どの家にもお茶畑があり、お茶づくりは梅干しや味噌をつくるのと同列の、季節の行事のなかにあることだ。そしてヤマチャといって、お茶がやぶきたなどに品種化されていった昭和20年代以前の古いチャノキが現役でがんばっていること。品種化以前のお茶はどこもタネから育てる実生のお茶であり、このチャノキが昔ながらの力強い風味を、今の僕たちに伝えてくれている。だけでなく、ある意味でお茶の原点ともいえる、大切な日本の文化なのだと考えている。

伺ったMさん。離れにある煮炊き専用の小屋にしつらえた釜はお茶専用でぶ厚い鋳鉄製、70センチほどの直径がある。かまどの薪火に焚きつけて、身をあずけるように踏ん張る格好で炒る。火加減は釜に葉っぱを落とす。何度か計りもせず、チリっとはぜればOKの合図。顔に当たる熱の圧で200度ぐらい?、釜のトルクはぶ厚く、多少の風が来たって輻射が衰えない感じだ。
そこに摘んだばかりの生の茶葉を投入して釜炒りが始まる。軍手で熱を回し、蒸気が上がると股木に持ち替え、熱が篭もるタイミングに合わせて葉っぱを繰る。この間葉がパチパチとはぜる音、葉の水分で湯気も上がってくる。強くて熱い薪の火、葉が焦げず、特有の釜の香り(釜香)がして、ふるっとして鮮やかな緑になれば炒りあがり。股木をおいて、もうもうと湯気を上げながらかごに空ける。

炒りを2回でひと段落。2回でまとめたお茶は揉捻器へ。電気でお茶をぐるぐる揉む器械で、これに預ければ、次の天日干しの段取りに進む。昔は筵に広げて手で揉んでいたそうだ。一時期、山のお茶は電気もガスも使わない、乾燥だって天日干しだすばらしいなんて思っていたことがあったが、手で揉むなど揉捻は労力がかかるし、天日で干す作業も天気次第で出来不出来が左右される。高齢化も進む中で、何もかもを自然のままというのは都会の消費者の妄想だ。ちなみにこちらはザイライのヤマチャに農薬化学肥料を使わず、薪火で釜炒り、電気の揉捻、路地に広げた筵で天日干しをして、お茶になる。いつも感じるヤマチャのあの香りは天日干しの香りかと思っていたが、小屋で炒ってるそばから香ってきた。これがヤマチャの香りだ、と心の中で確認した。

山の釜炒り茶をいただく。山では家々に、春のお茶の段取りで伝わってきたので、これをほかの何と比べることもないし、うまいまずいは土地の水や空気と同じところにいるものだ。チャノキを含むツバキ科は葉が厚く葉面はつやつや、年中緑が鮮やかだ。輝くばかりの強さ、逞しさ、美しさ。喫茶というものは、これをなんとかして摂りこもうとして生まれたように思える。葉が柔らかい新芽の春ならとお茶にした。が、野生のものはそれでも強く、山の香りもえぐみも残る。だから昔から、釜で薪火の強い火で炒った。跳ねっ返りな強さを半ば焦げたような釜の香りで抑え込んでお茶にした。

なれない人が飲むとその強さにうっ、としてしまうかもしれないが、ひと呼吸おいて味わってほしい。ワインでいえばフルボディ。この山のお茶はタンニンがゆっくり陳化するまでの間、味も香りも少しずつ変化していく。陳化の工程を縮めるのが焙煎とも言え、地元の人たちはみんな、ヤマチャは焙じて飲むといいんだよ、と言ってくれる。けれど僕はそのワイルドさのままいただく。1年2年と時間がたつと、少しずつ、深い香りに変化していくごっつい造りのお茶。それは遠く雲南につながっている独特な香りなのだ。

なれない人が飲むとその強さにうっ、としてしまうかもしれないが、ひと呼吸おいて味わってほしい。ワインでいえばフルボディ。この山のお茶はタンニンがゆっくり陳化するまでの間、味も香りも少しずつ変化していく。陳化の工程を縮めるのが焙煎とも言え、地元の人たちはみんな、ヤマチャは焙じて飲むといいんだよ、と言ってくれる。けれど僕はそのワイルドさのままいただく。1年2年と時間がたつと、少しずつ、深い香りに変化していくごっつい造りのお茶。それは遠く雲南につながっている独特な香りなのだ。

  

tags / , , ,

«                   »

Leave a Reply