エーゲ海に浮かぶ舟

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エーゲ海に浮かぶ船

朝八時になるとエーゲ海には一艘の船が浮ぶ。小舟というより公園のボートといった方がよいその舟は、ふだんは漁師の家の前の浜につながれている。毎朝その時間になると妻を舟の上に乗せて、夫が沖へと舟を押していく。膝が水に濡れるところまでくると夫は舟にとび乗り、ちょうど公園のボートを漕ぐように沖へと漕ぎ出していく。舟の上には人形のように座っている妻の姿がみえている。
私は毎朝浜で朝食のパンを食べながらその光景をみていた。一キロほど沖に漕ぎ出すと漕ぎ手がかわる。妻がオールを持って、ゆっくり、ゆっくり漕ぎはじめる。夫は立ち上がって海に網を入れている。わずか五分ぐらいの時間だ。最後に網から伸びた綱が舟の後尾にしっかりと結ばれる。
また漕ぎ手がかわった。夫は海辺の一キロ沖を、岸と平行に、真一文字に全速力で舟を走らせている。体中からきっと汗をふきだしていることだろう。エーゲ海の青い海と青い空の境界線近くに、一本の筋が伸びていく。
一キロも漕いだだろうか、舟の速度が落ちた。船は向きをかえて、ゆっくり岸に近づきはじめた。そんなとき私はよく砂浜を走って舟が浜に着くのを待った。浜辺にのり上げるまで、海のなかにとび降りた夫が舟を押してくる、舟が浜に上がり、その後からは網が上がってくる。夫は舟に結ばれた綱をはずし、網を背中にしょい上げる。そして浜辺のすぐ前の家へと入っていく。
その家が村の魚屋だった。魚屋の店先に網が降ろされ、なかから海老やスズキや……。何百匹かの魚が降ろされる。夫はからになった網を持って、妻の待つ小舟に戻る。また海に舟を浮べ、一仕事終えた満足感をただよわせながら自分の家へと帰っていく。
『山里紀行』日本経済評論社刊、P67)

哲学者・内山節さんが30代後半、『自然と労働』をぐるぐる思索し逍遥していた頃に書いたと思われるエッセイの一部を抜粋しました。北ギリシャ、テサロニキに近い寒村、プラトモナスというところに滞在し、そのゆったりとした暮らしを描写しています。写真は自撮もの。プラトモナスではなく、イタリア・リオマッジオーレ。コルシカの見える2004年秋のリグリア海です。ここでは漁師さんの船外機付きの小さな船に乗せてもらい、やけに青い海に魚影の薄さを感じて、このプラトモナスのことを思い出しました。今日の夜は、お茶を飲みながら、今もこの場所はあるのかと考えたりしていました。

Posted on 日曜日, 9月 14th, 2014 at 2:06 AM

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