もう10年以上ずーっと使ってきた栗の箸入れの緒がこわれてしまい、ここ1年ばかりは輪ゴムで代用したりと、とほほなお弁当暮らしを続けていたんだけど、時は来るもの、ちょうど美麻村に行けることになった。そこで何年ぶりか、箸入れの作者、美麻村で木工をしている柏木圭さんにお会いでき、籐の止め輪をつけてもらった。
木工作家、柏木圭。最初にお会いしたのは多分98年の夏あたり。美麻遊学舎という廃校の校舎を改築した文化施設におつき合いがあり、時々顔を出していたのだが、その校舎の一画に圭さんの工房があった。長髪にヒゲ、鑿を片手にタオルを巻いてこつんこつんと作業をしていたので、ときどき立ち話程度、させていただいた思い出があった。
美麻遊学舎というところは、ヒッピーくずれ系というか、自由な感じの人たちがよく集まる場所で、20世紀の最後、99年の春に不審火で全焼して、その魅力たっぷりの木造校舎はもうない。遊学舎がにぎやかだった頃も圭さんは一線を引いてた感じで、浮いた話よりはこつこつと鑿をふるい、当時は消防団とか、地元の付き合いを大事にしていて、僕は見たことはなかったけど、ジョージハリスンみたいな風貌で印半纏ねじりはちまきの姿がやけに似合っているなーと想像してはほくそ笑んだりしていた。遊学舎の火事では圭さんの仕事道具一切も焼けてしまった。焼け跡から救い出した鑿の釛を打ち直して、それこそ鑿1本、圭さんの21世紀はゼロからのスタートだったと思う。
圭さんの箸は「栗懐中箸入れ」という。寝かせてよく乾いた栗、ほどよく筋も通ったものを、成型した後に柾目方向、ちょうど鉈でするように「ぱかーん」と割る。箸の入る場所をきちっと四角くくりぬき、竹の箸を置いて、輪に編んだ籐の緒で止めるとあら不思議、合わせ目の見えない、美しい箸箱だ。和のフォルム。僕の知る遊学舎の裏に積んであった薪を「お、栗ではないか」とぱかんぱかん割っていたら閃いたという着想が可笑しかった。「合う」仕掛けの妙と、直線と曲線の「合わせ」の妙の両方があって、こりゃ粋だなぁと感心感動したものだから、99年、パートナーの岸田美紀と結婚するとき、親しい友人へのお礼に20本ほど、この箸入れを注文させていただいた。
お会いした日は事情があって、もう家に戻らなきゃならない時間になってしまい、工房には10分もいただろうか。籐の止め輪、1本の箸入れに2つずつ合計4個も、ていねいに選んでくれた。「うーん、いい色になってる」なんて、箸入れに声かけてくれて、ああ、生み出した本人が作品に話しかけるってこういうことかと感じ、ほんとお付き合いの縁といえばうすいのだが、「心待ち」の印象を深く抱いた瞬間だった。外は音もなく雪景色。工房の空気はひんやり、よどみなく凛。こういう場所に宿る美ってものがあるんだと、ひかれる理由のもうひとつにも、気づかせてもらったのかもしれない。
Posted on 火曜日, 1月 17th, 2012 at 2:26 PM