このお茶は村の暮らしと自然です。
村の営みの結果が、お茶というかたちで、表れていた。
太陽を吸い込んだ茶草の香りふわっと。
すっきり飲みやすく、品があるんだなぁ。
葉っぱが! わあやわらかく細くしなやかで。
人と自然と。どんな時間のやりとりで育ったのだろうか。
山のおばあちゃんのお茶。
無農薬、無肥料の、在来のお茶だそうです。
昔はふつうにあったのに、愛おしい、はかないもの。
いいお茶に巡り合えた
最初、和歌山熊野の山のお茶、というものだから、これはいいぞと、これまでの認識を大きく逸脱しない中でのお茶、と思っていたのが、実際にお話を伺い、いやいや、話だけでは納得しなかったと思う。実際にじんわりと、いいお茶だな、と思ったのは、そのお茶をありがたくもいただいて持ち帰り、夜にもう一度、女房と2人で味わったときだった。そのお茶の味、香りを感じ、お茶の葉っぱ、茶底を観じて、ああ、このお茶はかけがえのないお茶なのだな、と、じんわりとわかったお茶なのだ。
和歌山県の龍神村
まだ行ったことがないが、海岸線から73kmの、山深く険しい場所なのだそうだ。昔何度か伺った那智勝浦色川も山深く、そこでお茶や梅干しを作っておられた村山さんのお話しを思い出すに、ほぼなんでもが自給自足。海のものは山のものとの物々交換。今では紀州が名産となっている梅も、もとはといえば、保存が利いて自給にうってつけ、輸送にも都合がいいという利点が、根強く残ってきた理由だということだった。この伝でいけば、お茶も全く同じ、地域の必需品であったわけだ。
長いお茶話を伺う
このお茶がなんと、遠く大陸の雲南のお茶に結ばれていることを、茶壺天堂を主宰する井上菜津子さんから、教えていただいた。時は縁を生む。もう何年も前から、時に黒潮文化圏といい、時に照葉樹林文化のお茶をと、同じお茶でも西南のお茶に偏った興味を抱いてきた自分の前に、このような縁が現れている。山のお茶が遥か雲南のプーアール茶に端を発するとは思いもよらなかった。
釜炒り茶の文化、番茶の文化
お茶の文化を考えるとき、前々から、御前崎、紀ノ川、吉野川と西進し、熊本の阿蘇、三角半島へと抜ける構造線の南のエリアを意識し続けてきた。そこには中尾佐助氏の提唱した照葉樹林文化の片鱗が散らばっていて、茶についてそれは、釜炒り茶であるような気がしていた。その一方で、西日本瀬戸内圏中心に広がるお番茶、茶色いお茶の文化が気がかりで、この2つの流れがどういうふうに交差し、定着してきたかについては、興味のつきないところだった。
炒って揉んで干すお茶
その結び目が、炒って揉んで干す、日干釜炒り茶。井上さんの指摘する「晒青緑茶」という製法にある。自分の中に育ち始めている直感だ。こうした製法が、熊野の山村のほか海を渡り徳島、高知、愛媛へと分布するだろうといった興味を惹きもするが、肝心は原点が生活のお茶だという点だろう。文化は川筋を凌駕する文明の圧によって、高地に孤島化して残されるものと聞いたことがある。その轍により、熊野から高知石鎚への連なりに孤島が残されたのではないか。
これは尽きないお話が続いていくと思われた。
井上さん、そしてYさん、これからもよろしくお願いします。
竹内さま、
かなり遅れたコメントになってしまいましたが・・
ウチのお客様で、友人でもある60代の女性の方は和歌山県のご出身です。
毎年春には地元のほうじ茶をいただいています。
ほうじ茶粥文化のある地区で、幼いころからほうじ茶粥を朝食としていたようです。
その友人から今年5月にめずらしいほうじ茶をいただきました。
本宮町伏拝という地区のほうじ茶ということですが、新芽が多く、茶葉の色からして釜炒り茶のように思います。
茶殻は一番茶らしく柔らかです。
いろいろ調べたところでは「音無茶」のようです。
竹内さまのこのブログを拝見した時、「偶然にも同じお茶だ!」と思ってしまいましたが、龍神茶とは乾燥の工程が違うことがわかりました。
独特の茶文化がここにもあることに驚き、それを守る人々のすごさに感激しました。
いちよう様
手づくりのお茶、暮らしのお茶が様々に残っているんですね!
竈にしつらえた釜で炒るお茶は、どうも天竜三河地域の山奥、熊野、四国山地、そして九州とすべて山村に連なっているようです。ふもとに近づくほどに、品種ならやぶきた、製茶なら蒸し、に変化していくように思います。
1番茶のほうじ茶ですか。自分の想像ですが、釜で炒って揉んで日干しをして、仕上げに渋みを取る目的で焙じるという意味合いの焙じ茶なのではないですか?
高知の釜炒り茶は1年分を日干ししたもので貯蔵して、飲む前に焙じて使うと聞いたことがありました。
いずれにしても、山の暮らしの香りのするお茶なんでしょうね!