10月初旬の旅のお話しです……
四国に来たのは1年7か月ぶり。なんとあの311の大震災の日、僕は高知にいた。東に大豊町は碁石茶の北村さんを、西に西土佐町は鮎組合の林さんを訪ねていたのだけど、それはそれとして……。
今回の旅の目的は、高知県吾川郡いの町、国友農園さんを取材すること。そして西には四万十町で有機農業をしている畑俊八さんに会いに行くこと。そしてせっかくだから、帰りにはどこかお茶の産地を巡ってと欲張り、10月5日から最長で10日いっぱい、時間をつくって出発したのでした。国友農園さんのお茶づくりは別途レポートを見ていただくとして、今回の旅は“山”をテーマとする旅となっていった。その第1は、なんといっても“ヤマチャ”である。
ヤマチャとは、野生のお茶のこと。九州、四国、紀伊半島の山間部でよく見られるそうで、実は、このヤマチャの自生、今回の旅でぜひ確かめたかったことでもあった。僕などは、小学校時代を狭山茶どころの近くで過ごしたこともあり、お茶の実なんかは珍しくもなく、通学とちゅうの畑の生け垣なんぞでよくみかけたもの。現代の茶畑は固定された品種を挿し木で増殖したクローンがほとんどで、そこから古(いにしえ)へと思いをいたすことは難しい。しかし高知の山のヤマチャとなると話は別。
実生といって、ヤマチャは挿し木ではなく、茶の実から深く根を張り育つ。山の岩場を好むと言われ、頑健な根は根酸を分泌して岩石のミネラルを溶かし出し養分とすることから、香り高い茶葉になるとも言われる。また、自家不和合性といって、茶は自らの花粉では受粉しないから、遺伝的多様性が無限。なので実生で殖えてきたヤマチャでは、葉の形や色、味わいなどで様々な形質が現れてくる。それは太古より連綿と受け継がれた種の記憶と現代とを結ぶ語り部となり得る、すてきなロマンなのだ。その古より自生のヤマチャを現代に復活させたのが、今回取材の国友農園代表・國友昭香さんその人だ。早朝1便に乗って高知龍馬空港着が9時ごろ。バスで高知駅からJR予土線いの駅まで15分ほどで昭香さんと再会。ぶおーんとでっかいトヨタのプラドに同乗させていただき、あいさつもそこそこ、まず真っ先に、いの町樅の木地区の茶畑にむかった。
季節は寒露。陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也…台風のせいか今年の陽気はまだ露が凍るほどではなかったが、さすがにキリっと引き締まり澄んだ空気に空の碧さはすがすがしい。山を分け入り曲がりくねった細い山道を上り詰めると、憧れのヤマチャ園、「川又日浦山自然生え園」にたどり着いた。はるか下流で清流仁淀川へと合流するという小川は清く澄み輝き、その真正面に、昭香さんが小倉山に続いて開こんした、第2の自然生えのヤマチャ園が立ち上がっていた。見上げると山に繁る植物たちはキラキラ輝いて、合間合間に埋もれるように、ヤマチャも負けず輝いていた。
(続く)
Posted on 土曜日, 11月 3rd, 2012 at 6:20 PM