3週間ぶりに市民農園に様子を見に行ったら、可憐な花が咲いていた。
これはパクチー、コリアンダー、香菜(シャンツァイ)の花。去年の春蒔いて収穫、取り残しに花が咲き、立ち枯れるまでそっとしておいたので、実を結んでこぼれ種が年を越した。それが芽生えて、花になった。こぼれ種が大切、と話していたのは、確か長崎の岩崎政利さんだった。岩崎さんは、種採り先生。今様の自家採種の先達。もうおいくつだろう、きっと今もせっせと種採りして有機農業をしている。
その岩崎さんのお話しを伺ったのが2003年のこと。その記録からこぼれ種のお話を再録。ここで岩崎さんが「地種」と読んでいるのが、まさに今日のパクチーなのねww……
私はですね、種は母本からずっと選抜をしてきたんですけれども、こぼれ種、ということに非常に関心が出てきまして、1回自分の畑で野菜をとると、種がこぼれて次の年に発芽して、そこで地種として生えてくるわけですけれども。こぼれ種でその畑に育った野菜というのは非常に育ちがよくて、自分で蒔けばよく育たない瓜が、こぼれ種だとよく育つという、あ、これはすごいことかな、とこぼれ種に非常に関心がありまして、こぼれ種による自家採種をたくさんすすめてきました。
作りにくかった出雲系のマクワ瓜が、こぼれ種によって生命力が強くなって作りやすくなってきましたし、むしろこぼれ種の方が作りやすい野菜がありますね、こぼれ種で育った野菜は非常に生命力が強くて、関心が出てきました。昨年青首大根が育った畑にこぼれ種で育った大根がですね、ものすごく生命力をつけて生えてきまして、それも種を取っていっしょに混ぜたりしてたんですが、そういうこぼれ種による自家採種、もっと厳密にいえば私たち自家採種している野菜を野や山に種を返して、そこで数年繰り返し、世代を繰り返して、それをまた選抜をしなおして畑に返すという、そういうこぼれ種による自家採種、育種の仕方を私たち農民がひとりでも身につけていけば、すごい種のネットワークに広がっていくかなという感じがします。これは種苗会社がなかなかできない、農家の対応の仕方かな、という感じがします。
こぼれ種でもうひとつ浮かんだのが、先々週伺った生きもの観察会で、生きもの係の林鷹央さんが「人間は生き物の中で唯一、身土不二じゃない生きものなんです」と話していたこと。身土不二の意味、それは、生き物すべて、死んで土に還るんだと。その土からまたいのちが生まれ、繰り返す。そのありさまを身土不二と呼ぶ。ことを称して身と土は二つではなく、土とひとつである……
まさに。岩崎さんの着想は、自然の摂理から育種を見直そうとするなかで経験が蓄積され、熟してきたもの。身土不二を体現したような、こぼれ種の生態、繰り返される遷移が根強さを生み出しつつ、いのちは生き残っていく。本来の姿とは、こうした中から見出されるんだろう。どうして本来の姿など気になるのかといえば、自分たちがどれだけ本来ではないもののなかで生きているか、が多すぎるのです。
まあ、この花については、僕は放っておいただけww
パクチーの身土不二に感謝。