今年は山形在来作物研究会、略して「在作研」というすばらしい会の会員になった。会員誌もすばらしくて、いくつか欠けていたバックナンバーをお願いし、全9冊お揃いに。そこでパチリ。
記憶をたどると、当時僕が事務局長をしていた団体で在来種の全国調査を始めたのが2002年の暮れ。明けて2003年は全国の取り組みを色々見て回り、2004年の1月に開催した成果発表の集会の席上、地元鶴岡で有機農業をする小野寺喜作さんから、在作研の発足を知ったのだった。今日、創刊号の記録によると、在作研の発足は2003年11月30日。現会長の江頭宏昌さん含め7人の準備会メンバーが、その年の春から準備を進めていたようで、奇しくもまったく同じ時期に似たような模索を進めていたのだなぁと感慨もひとしお。その年はまだ知る人ぞ知る存在だったアル・ケッチァーノの奥田シェフにもお会いし、以降庄内地方の素晴らしさに引き込まれ、以降何回となく、家族ぐるみも含めた交流を重ねていったのでした。
『SEED』創刊号。記念すべき表紙は高橋春奈さんの美しいボタニカルアート。脚注によると……山形県鶴岡市外内島(とのじま)に90年以上も伝わる外内島きゅうりの完熟果。近年鶴岡市内からほとんど姿を消した野菜の1つである……とのこと。
さて、忘れられないのは、同じ山形の有名な生産者の言葉だった。彼は「こういうのは自家用向き。ばあちゃんに作ってもらうのがいいよねぇ」……と、取り合わなかった。僕が進めた在来作物調査という取り組みは思うに任せず。形や時期が揃わないから、と流通の人間が言うのは仕方なし。しかし生産者の賛同もほんのわずかにとどまり、力不足が悔やまれました。
つい先日やまけん(山本謙治さん)がblogで書いていた、故・江澤正平さんの言葉、これが思うところ大だったので、載せておきたい……
「あのね、野菜は文化。文化は自由に拡がっていくんだ。でも、流通は文明。文明とは文化を規制するものなんだ。だから野菜の文化が停滞するようなら、流通を作り直してかなきゃいけない」(江澤正平・やまけんの出張食い倒れ日記より引用)
……在来種は本来、文化として自由に拡がっていくものだということ。流通の目線で、在来種を単に「揃わない」不備な野菜と見立てて解決を図ろうとしてもダメなのだ。自由に、ということは内発的に、広がりに手を添えるような取り組みこそが本来の広がり方だったのです。この創刊号の編集後記、に江頭さんと思われるコメント……
…いろんないい出会いがありました。しかも強引に探し出したものではなく、ごく自然に、しかもタイミング良く(中略)研究会を通じて会員や在来作物との新たな出会いが、さらに広がっていくのが楽しみです。多謝。(E)
まさに文化ではないか。『SEED』は毎年秋、年に1回発行されてきたから、今秋は在作研10周年なのだと思う。広く広く育って、そうだ、映画「よみがえりのレシピ」も好調(渡辺監督によると、今秋東京でも上映されるもよう)。僕は末席だけど、こういう取り組みが文化として、これからも多くの人に愛されていくよう、お手伝いをしていくことを決めた~