徳田さんの夏のお茶会

鳳凰単叢

 

徳田志保さんのお茶会に参加させていただいた。

お茶に興味を持ち、blogなどを徘徊していたころ、それは異色と言えるblog「続・茶的空間」に巡り合った。ま、ボクが巡回(?)するblog、結果としてはどれもが異色、というか型にはまらないのものばかり。つまり、お茶のblogといえばネット通販がらみのものか、お茶教室関係で、だいたいは、それを見に来る、買いに来る、学びに来るユーザーから見て予定調和的な、みんなが安心するような「型」のもとに運営されている。

徳田さんが時々記事を上げてくる「続・茶的空間」は、中国でのお茶づくりの専門的なお話の中になんと、九州での釜炒り茶づくりの記事もあってそれはびっくり。どのお話も、徳田さんの考えがはっきりと出ていて、知らないことも教えてもらっている。確か、そのあとフェイスブックで、僕からお友達申請を承認いただいて以来、blogもFBの書き込みも、楽しませてもらってきた。

その徳田さんにお会いしたのはこのお茶会が初めて。
それは楽しい時間を過ごすことができ、とてもうれしい一日になりました。
そして、何杯もいただいた鳳凰単欉は、とてもおいしかった。

茶譜というのだが、この日いただいたお茶のメニューを、徳田さんのブログから……

・鳳凰単欉 蜜蘭香
貢品
収山香
老叢水仙
・宜興紅茶
・石川県穴水の紅茶
・熊本県芦北の烏龍茶

……このあと、遅く見えたAさんのためにもう一度蜜蘭香で巡って、
3時から7時まで4時間の長丁場。

がじゃがじゃと、いろんなお茶を自慢するといったものではなく。鳳凰単欉をどまんなかに布陣、すじ道を示して、合間に味わった宜興紅茶、これが彩だったろう。ここをしっかりと推したのが松風(しょうふう)という日本の急須は趣だった。直球な組み立てで、会話もこなれた終盤、国産2種のお茶では人がらにも触れ、あとに今一度の蜜蘭香も僕にはよかった。飲む方はよく集中できたと思う。

とはいえ会話が弾む弾む。弾む会話は、お茶会に参加された皆さんも良かった。春のティーパーティーから再会のお茶人Tさん、静かに会話を聞く中存在感あるOさん、常滑大好きというHさん、そしてAさん。

日本のお茶のこと、お茶友達のこと、急須のこと。型通りの質問も少なく、それでいて盛りだくさんな話題に口閉じる間もなし。そんな楽しい空間で、今回使った急須の徳田的解釈は、急須の注ぎ口のノドの膨らみについて。内側に半球突起の繊細な茶漉しが上付き。出すときは傾け過ぎず、茶水は上澄みだけが茶漉しを通って、まるくかわいいノドでころがってから、注がれていく。徳田さんによるとそのコロコロと転がる水が良いのだという。

鳳凰単欉のとちゅう、宜興紅茶に移った。さいしょ、日本式に松風急須で3分でいただくと、これがべっ甲飴のような甘ーい香り。ところが景徳鎮で淹れたイギリス式の淹れ方になると、こもっって貯め込むような香りから揮発性、スミレ系の香りにシフトする不思議。葉っぱを見せてもらうと、整って美しく、ムラひとつないもの。雑な香り、蒸れた香りはかけらもなくてしっかり。徳田さんはこういうお茶とつきあっているんだと背筋も伸びた。

宜興紅茶

宜興紅茶の端正な茶底。この紅茶にもたくさんの物語が詰まっているはずなのだけど。

味わいながら、日本の紅茶のことにも話は広がる。どちらかというと残念だぁという話なのだが、以前徳田さんのblogで読んだ、宜興の茶農の製茶へのつぶやきを知れば、その気持ちも伝わってくる。長いが引用しちゃう……

彼らを見ていて面白いなぁと思う事例は
元々ある地元の在来種もそれはそれとして残しつつ、
新たに烏龍茶種を用いての紅茶を作っている…ということでしょうか。
守秘義務があるので一定のお話ししかできないのですが、
彼らは通常の烏龍茶とは違い、旧来の自分達のお茶と同じように
これらの茶樹から小さな芽だけを摘んで製茶します。
また、その茶樹を観察すると、栽培の仕方も福建省の烏龍茶の産地とは
外観が異なることが一目で理解できます。
製茶技術も安徽省との境に集中する旧来からある茶農家の製茶方法とは少し違うやりかたで、
原理原則は守りつつ、伝統と革新をかけ合わせた作り方を編み出しているように見受けられます。

市場の中で旧来のものも持続でき、
好況である中国経済が欲する新たな消費の要求を敏感に察知し、
真剣に応えようとするその生産現場の姿勢には非常に好感が持てました。
これも好景気だからこそ高まる気運なのかもしれません。
沈みゆく経済の中にある日本の茶業とは対照的な動きですね。
【続・茶的空間<宜興の紅茶2】より引用

 

……日本で地域単位での創意工夫など価値観として、または文化として存在しているだろうか? 作り手各々の経済は、地域性というものを崩しながら、その経済を獲得してきたように見える。経済が大きくなるのは悪いことではないけど、地域性は嫌われもして、品評会なども全国統一の基準で技術向上などと。創意工夫の方向はお仕着せのマニュアルベースだったり。だから、地域特性を味方に自律的創意を発揮させ高みを目指すなど、理解しづらいのではないかと思う。

最近の和紅茶(づくり)ブームは、地域特性や、それぞれの自律的創意と見るより、紅茶作りが全国的に、その枠組みが見えてきたからということで。食品の業界に身をおいて20数年、似たようなブームをたくさんみてきたけれど、好景気なら改善されるものでもなく。ごくわずかの方々を除き、はっきりした傾向だなぁ。

さてこれから先、鳳凰単欉をいただくときには、この日の味覚が基準になって、新たな思いが加わっていくのだと思う。徳田さんから聞いて、これまで以上に親しみを感じた人も何人か増えたのは、気軽なお茶飲み話のおかげ。とはいえ油断しまくりで、ホントはこの日僕が感じた10倍はいろんなことが詰まっているお茶だったはずでもあり。
特に、お茶たちの物語は、たくさんたくさん伺いたかったのですが、飲むことに集中したつもり(かな?)。申し訳ない気もするけど、そこは時間をかけて埋めていきましょう。

徳田さん、長い時間のおもてなしをありがとうございました。

(珍しく写真は2枚だけ。せっかくのお茶席、撮るべきでした)

Posted on 土曜日, 9月 1st, 2012 at 3:00 AM

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