左能典代さんのお話

岩茶房

6月16、17日の2日間、京都にて、岩茶房さん主催の「第三回吉田山大茶会」に参加した。知り合いの方が何件か出店されていたのと、何よりこのイベントは、あこがれのイベントだった。いろいろと勉強にもなり、たいへんにおもしろかったのだけど、僕のいちばんの収穫は、左能典代さんのお話を聴く機会に恵まれたことだったようだ。この1週間の時間を置いて、そう思えた。

左能さん

中央のステキな方が左能典代さんです

ほんの15分ほどのお話から伺えたのは、茶を文化として捉えれば岩茶なのだということ、そして人間と自然との精神的な接点としての茶が岩茶なのだということ、さらには、限りなく人為を遠ざけたぎりぎりの岩茶が、ヒトの機能に関与するような身体性も備えているということ、のようだった。

お話は、左能さんにとっては何百回も繰り返し話された内容だったと思うし、僕も左能さんの著書[岩茶のちから]は何度か読んでいるので、親近感があった。話しぶりはとても気さくで、男っぷりが良い(?)というか、颯爽とした語り口調。この方と生産者たる劉宝順さんとの関係の保たれ方を思い浮かべると、僕たち日本の農家のする農業としての茶から想像もできない手間と時間を注ぎ込んだ、この宝物のようなお茶が、少しだけ身近に感じられる気がした。

経済発展、機械化、化学化、自動化が進み過ぎてしまった今の時代の僕たちにとって、武夷岩茶は罪深いと思えるほどぜいたくな品物。岩茶は、神話と言ったら大げさだが、そのような茶づくり、そのような茶との接し方には、もう戻れないんですヨと、誰もがあきらめて、自分に言い聞かせて見ないようにしている高みにある。左能さんは、その高みを決して失わずに、がまんを重ねて、義としても25年を過ごしてこられた方のように思ったのだ。こりゃたいへんなことです。以下は左能さんのお話を記憶の断片から……

岩茶には、
ありとあらゆるミネラルが含まれています。7千万年前のその岩の中に、たくさんのミネラル。お茶のかたちで飲む点滴のようなもの。栄養がいっぱいのお茶。

このお茶を飲むと、
様々な体の故障が改善されていく。岩茶房25年間の人体実験で証明されています。岩茶を飲んで病気が治った。認めざるを得ない。いろんな話があります。西洋医学的には一切認めたくない話。

このお茶は何煎も飲めます。
自分が日ごろ使っている湯呑にちょこっと入れて、ちょっと飲めば体が満たされます。たくさん飲んでもあんまり意味がないんです。ほんの少し、慈雨のように、体の中に沁み込んで、細胞が喜ぶ。たくさんのむと洪水。体は喜ばない。

岩茶は、
3日間ぐらいはもつ。お出かけ前に熱湯を急須に入れて出かける、帰ってきたら飲む。これがおいしい!

岩茶は、
非常に生産量の少ないお茶。高い。縁ある人に飲んでいただくというのが、このお茶の役目です。大紅袍(だいこうほう)。年間生産量はたったの750g入札で2800万円ぐらいします。

中国と岩茶房は、
中国はとってもいやな国、でもお茶はいいい。お茶の人たちはいいい。中でも、商売のためにではなく、文化のために、お茶を作っている人はいいです。そんな方に1984年知り合った。以来毎年交流しています。毎年、岩茶をいただきに武夷山までいく。24種試飲して意見も言う、ちゃんと取り入れてくれる。そんな良い関係が今も続いています。

岩茶は、
雨が降ったら摘まない。多くのお茶は雨が降っても摘むが、劉さん、雨がふらないと思ってお茶を摘でいた。でも降ってしまった。そのお茶は製茶して、飲んで、ありがとうと、燃やして灰にして山に返す。

岩茶は10年。
絶対冷蔵庫や冷凍庫に入れちゃダメ、10年もつ。すると、だんだん漢方に近くなってくる。うそだと思ったら10年生きて、やってみて。日本の茶箱ものすごいスグレものこれにいれておいとくといい。部屋が夏はクーラーいらずで涼しくなり、冬はお茶が自力で温度を高めて、暖かい。非常にいい部屋になる。すべて岩茶の力なんです。

自然というのは人間の力ではわからない力があります。
(自然や、文化的なものは)切ったときには経済が主流になる。経済だけで物を考えていくと……まさに岩茶は、私たち人間が、飲み物として与えられている文化の象徴ともいえる。

岩茶は、
今日買って、飲まない、10年後に飲む。10年待って飲むお茶。それが中国のお茶の文化。私たち日本人はせっかちで、すぐのんじゃうけれど、興味がある方は寝かして飲まれると、自然がどういうことなのかがわかります。

お茶は自然の産物です。ただ、人間がどこから係るかによって、不自然な産物になってくる。ケミカルなものと自然と、どこらへんで折り合いをつけるか。そう考えると、人間は、やはり、ぎりぎりまで参加しない方がいい。ぎりぎりじゃなく、シャシャリ出て参加していくのは、消費経済帰依なんです。私たちは、それはしたくないんです。

人間がお茶に接触するのは摘むときだけあとはざるのうえで風のままに萎凋させて、傷ついて、香りをだす。風で、香りを出す。風が足りない時は手でふわーーってやるんです。






●関連記事:

風香青史の釜炒り茶
トレカフェat愛川町11/15
Posted on 土曜日, 6月 23rd, 2012 at 11:08 PM

…… , , , , , , , , , , , ,

 

Responses (2)

  1. いちよう より:

    およそ10年前、東京・横浜の中国茶館を巡るのが趣味だったころ、目黒の岩茶房を初めて訪れました。
    その後も何度か訪れたのですが、京都にお出かけのことが多くなり、お会いする機会はなかったです。
    あこがれの左能さんの本は今でも辞書のように大切に使っています。


    その時飲んだ岩茶に惚れて、その後いろいろ買い求めて飲んだことを思い出しました。
    もちろん今でも大好きな中国茶の一つです。

  2. oishii-mura より:

    いちよう様
    僕はまだ岩茶房、伺ったことないです。本がだいぶ前に読んでいて、はぁーって感銘を受けていました。左能さんが伝えるようなお茶と茶師の方々が、中国にある。そう意識し続けるだけで、お茶ぜんたいの懐が深く感じられるっていうか。今年で岩茶房25周年なんだそうですね。颯爽と、キリッとした感じの方でした。

Leave a Reply



Facebook Twitter Twitter