高知の旅…お茶の昔語り

tsubayama21
椿山で、平野おばあちゃんのお話しを聴いている……

楮(こうぞ)は株で百年ばぁ生えるけんど、
三椏(みつまた)は3年で刈り取ってまた植えます。
山の木を皆伐して切畑にして、苗を新植する間を三椏用に貸すんです。
借りてくれた三椏の人が管理してくれるき、草刈もせんでええ。
そうひたら木が大きくなっていくき都合がよかった。


……椿山の里では、そこいらじゅう、楮(こうぞ)やらの間にヤマチャが生える。本畑でのお茶栽培はほとんどしない。家の裏のはじっこが斜面なら、ヤマチャは必ず生えるから、刈り揃えて、自家用にしたり農協に出荷したり。三椏(みつまた)の栽培も盛んだったそうだ。……この日、平野おばあちゃんは、広川先生にうながされるように、今も近畿一円に残る大福茶のルーツともいえる習わし、ここ椿山で今も生きている、八日茶のお話しをしてくれた……

正月元旦は、若水を汲みに行きよった。
元旦には、前の年、旧暦の4月8日に摘んだお茶をとっちょって、いただくの。
昔はね、若水さまいうてね、それぞれのうちには水を引いていなかったきね、
朝早ように松明つけて、汲みにいったんです。
八日茶。八日茶の摘んだのをね。
節句のときにはね、春の桃の花を供えてね、お茶へね、つけといて、
5月の節句には、菖蒲とよもぎとかやを束にして屋根に放り上げました。


広川先生は言う。八日茶の習わしがあることは、文献でを知ってはいたが、こうして、実際にくらしている方からお話しを伺ったのは初めてだと。先生いわく、こういうものは、歳時記から削られているんですね。年の初めの若水を汲んできて、お茶をいただく。そのお茶は前の年旧暦の4月8日に摘んでお茶にしてとっておく。こういう習わしが、ここ椿山では千年以上続いている。平家の伝説とともに、古式豊かな儀式を残しているのですと。

……めまいがするようだった。大きな昔にタイムスリップしたような感覚。生まれたばかりの場所にいるような安心感。目の前でおばあちゃんと、時を共有している。見上げるような山々、見下ろす深い谷に挟まれた集落にいて、はるか昔のお話に浸る自分は、この日の夕方には街に戻って酒を飲んでいるだろう。そのギャップにくらっと来たのか、一瞬、時空がなかなかつながらず、心がわずか動揺していた。お茶は人間の歴史をまたいで生きている。



……帰宅後、調べたら旧暦の4月8日は、お釈迦様の誕生日ということだった。頼朝の誕生日であり、吉田東洋の忌日でもあった。関連して、大福茶には、灌仏会法要という仏事にも関わっていたみたいだ。

●大福茶(緑茶の事典より)
関西でお正月にいただく縁起物のお茶の習慣で、梅干しや昆布をお茶にいれたものを頂く。天暦5年(951)の春に京都で流行した疫病が、六波羅蜜寺の空也上人が、茶に梅干しを入れて道行く人にふるまったことで鎮まった。この功徳にあやかり、時の天皇、村上天皇が、毎年正月にはお茶を喫するようになった。庶民もこれにならい、一年の無病息災を祈願する慣わしとして近畿一円に広がった。

●灌仏会法要(wikipediaより)
草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来するそうで、宗派に関係なくどの寺院でも行うようだ。甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。

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Posted on 火曜日, 11月 13th, 2012 at 2:42 AM

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