椎葉村の記録から

椎葉村史

椎葉村史

今日はびっくりした。と同時に、おおいに我が意を得た。
都内への1時間の車中で何を読もうかと、昨晩整理していたお茶関係のものからと、何気なく持ち出したのが緑茶通信」9号(2004年1月刊)、という冊子だった。「番茶!その多様な魅力」との特集で、昔かなり熟読した名著『番茶と日本人』(中村羊一郎著)のこともあったし、お茶は番茶からという気持ちが強くなってきているのもあった。
そうしたらどうですか! 最近とてもお近づきになりたいなぁと思っている方が寄稿しているし中村先生もしっかり書いておられる!「番茶はなぜ消えていったか…茶貿易との関連から」。…どうしてこんな情報見逃していたんだろうと脇の甘さを悔みつつ、ウキウキして鞄に仕舞い込みウチを出た。

驚きは車中。番茶が衰退した歴史を振り返るに、明治期の茶規格の均質化の流れに触れ、宮崎県椎葉村史から状況が示されている!
この記載を知らず椎葉村を訪れたのが2008年6月。なんと僕もその『椎葉村史』を見つけ、これは貴重と該当するページ(379頁から391頁まで)をデジカメに収めたのだ。忘れもしない民宿「焼畑」。有名な椎葉クニ子さんの宿。とあるプロジェクトのテーマに釜炒り茶を提案し、調査取材に伺ったときのことだった。僕はこの資料を『茶関係系資料』や『茶の世界史』、角山栄先生の資料などと付き合わせていった。そして釜炒り茶が衰退した理由や社会状況を理解し、しっかりとレポートを仕上げることができたのだ。

そして、当時から今現在まで喉に引っかかっていた「もっと書かなきゃ!」の部分が、「緑茶通信」の中村先生の寄稿に方向付けされいた。寄稿のエピローグ「食の多様性にもかなう番茶の復権」から最終部分を引用しておく…

現在のように一般に好まれる茶は煎茶であるということは誰が決めたのであろうか。しかも多くの消費者にとってその茶の評価と選択は価格に頼るしかないという状況は、ある意味では異常である。さまざまな好みに応じて茶を利用するということからいえば、むしろ製茶方法も多様であるべきだ。品質が劣る、あるいは美味い、不味いという評価は、本来茶商ではなく消費者自身が行うものではなかったか。強大な市場の圧力によって駆逐された番茶の復権は、食の多様性を求める現代の状況にもかなうことであろう。番茶は歴史的にも文化的にも重要な存在であるが、いっぽうでは現代の茶のありようを私たちに問いかけるものでもある。

……まさに我が意を得たり。
あとはこれから自分がどう動くか、だけだ。
民宿「焼畑」でふるまわれたお茶の漬物もうまかったデス!

Posted on 木曜日, 3月 8th, 2012 at 11:32 PM

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