モリ式炒り葉機。釜炒り茶には機械化の歴史もあったが、今はほとんどのメーカーが姿を消してしまった

モリ式炒り葉機。釜炒り茶には機械化の歴史もあったが、今はほとんどのメーカーが姿を消してしまった

昭和に入ると、九州の釜炒り茶も機械化が始まります。1950年代後半には連続式の釜炒り機も導入されましたが、効率や、蒸し製中心の全国評価基準などに配慮した機械化は、かえって本来の香り高い釜炒り茶の特質を減じ、生産性の面でも蒸し製の機械には太刀打ちができないという、なんとも歯がゆい状況を生み出します。

その後の日本はさらなる近代化の一途をたどります。1953年にはあの“やぶきた”が正式に品種として登録されると、ばらつきのない、均質な作りやすい品種として広がっていきます。多様な遺伝的形質を備えた、昔ながらの在来種はどんどん減っていきました。挿し木栽培による均一なやぶきた茶園が8割を越えました。1961年に制定された農業基本法からは、機械化に拍車がかかります。農薬・化学肥料を多投する生産方式によって規模拡大が進みました。驚くほど多く化学肥料を使って周辺の水系を汚染したり、病気にかかりやすい木には、農薬が不可欠とされるようになりました。こうした過酷な競争の中で、1958年当時90%の工場が稼働していた佐賀県嬉野の釜炒り茶は、現在では5%を切るまでに減ってしまったそうです。

釜炒りという製法は、効率や価格では、蒸し製の煎茶にはとうてい太刀打ちができない、ということで、かつては九州のほとんどの農家がつくっていた釜炒り茶も、共同の茶工場から、大規模な蒸し製の茶工場にとって代わられていきました。鹿児島県では個人農家の大規模化が積極的に勧められ、今では静岡に次ぐ第二の生産県になりました。現代の釜炒り茶は、そんな中で、古くから釜炒り機を導入していた自製自販の、個人経営の茶工場だけが残り、ほそぼそとつくり継がれているのです。

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