阿波晩茶の里・上勝町へ。晩茶づくりも終盤、仕上げの茎取り選別が続いている。町内でも一番の山奥のここは標高650メートル。先祖代々の棚田と晩茶、そして柚子は切っても切れない。急な斜面では畦畔の在来茶が種を落とし、根を深く張ることで法面を守る。晩茶づくりの細かなところのお話しを伺えた。

山のお茶は樹木と育ち、山仕事しながら春摘む釜炒り茶になる。里のお茶は田んぼと育ち、田植えの後夏摘む晩茶になる。どちらのお茶も夏は寝かせて、秋にいただくのがおいしい。 徳島、那賀川源流の木頭は柚子との混植で春摘む釜炒り茶、勝浦川源流の上勝は田んぼの畦の夏に摘む晩茶だった。里のお茶とは書いたが、上勝の田んぼは見上げるような、標高も6から700はある高地の棚田だった。 Mさんの田んぼはこの写真、百選樫原の棚田よりまだ上にあって、そこで国内でもめずらしい後発酵茶、阿波晩茶をつくっていた。

上勝から那賀の峠にて。こんな景色でお茶をいっぷくしたかった。

徳島市と高知市のちょうどまんなかのここは徳島県那賀町、旧木頭村。20年も昔、脱ダムの村を支援しようと特産の柚子加工品を売ったりの縁で、こちらのお茶を時々分けてもらっている。が、うかがったのは今回が初めてだ。 4、5メートルはありそうなでっかいトゲ、樹齢で50年ぐらいという実生の柚子が避陰林になり、栗、柿、朴、芭蕉や棕櫚が葉をひろげ、足下に株立ちのお茶が繁っている。間にはコンニャク、サトイモ、ミョウガ…。それぞれの旬に、それぞれのおすそ分けをいただく菜園の一部。それがこちらのお茶だった。
園主のKさんは、心細いような山道からたどり着く、ポカンと開けた小さくあたたかな集落に暮らしている。山に囲まれているので、川沿いの国道からでは存在もわからない。 Kさんの釜炒り茶は、お茶にするのに農薬も肥料も、電気も使わない。手で摘み手で揉み薪で炒り、天日で干す。あくまで自分ち用で、外に出ることはない。 このお茶をいただきながら、うかがったお話も夢のようで、本来なら川沿いの国道を通り過ぎる身であった自分は所在なかった。 持たせてくれたお茶ひと袋。

空いた時間に川沿いを歩いていたら、知らないおじいさんがついてくる。河川敷の田んぼや、田んぼの畦に咲き始めたヒガンバナをばちりぱちりやっていると、とうとう声をかけられた。 こんなもんつくったんよ〜と、まるこちゃんのおじいちゃんみたいな声で。見ると確かにフシギなのでぱちり。小学生のころ、授業中にいじっていたらできてしもうたと。面白い言われるから時々やってみせると。 その小学校はすぐそば。廃校になり宿泊施設になって実は昨日泊まったところ。ずっとここに暮らしてきおじいちゃん、なんとなくの縁を感じ、もらった草細工が今うちにある。 が、分解できずにしおれてしまった。
そんな上勝を後にして、短い旅の終わりに再び勝浦川。この川の上流が上勝。この山の向こうにに、晩茶をつくる人々が暮らしている。
このお茶、乳酸菌優勢の嫌気性発酵なのは、ぬか漬けにもすんき漬けにも似て、出来不出来がある。よいものはスッキリ透明感があって、ただ酸いだけじゃない、品のいい、お茶の深い香りがする。喉に違和感なく飲めて、渇きが治まる感じがする。 匂いと香り、臭みと芳しさがあるお茶で、あらゆる和の食や様式が入り込める。かしこまった中に弛みがあったり、くだけた中に清らかさがあったりして、これがアジアの成分なんだと思えるお茶が、四国の山里に伝えられていた。 お茶を育てて摘んで、ゆでて揉んで、漬けて干す、植物性乳酸菌のかたまりみたいなこの晩茶。晩茶の晩は番茶の番、一番二番の番ではなくて、朝昼晩の晩、早稲中稲晩稲(わせなかておくて)の晩。田植えの後に摘み、お茶づくりの後に稲刈りをする、暦に生きる晩茶だ。
この晩茶でいっぷくは同じ地元、岡田製糖所の和三盆…

«                   »

Leave a Reply