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むかし有機栽培の勉強会で全国を飛び回っていた頃、「植物の根はアミノ酸の状態で窒素を吸収できる」という説を知った。常識的には硝酸態(NO3)またはアンモニア態(NH4)で、といわれてきたので、その見立てが実証されていく目ウロコが楽しかった。ところが、あの「奇跡のりんご」の木村秋則さんのように、有機質も含めて一切肥料を使わないというお茶農家さんを何人か知っている。

このお茶は奈良のIさん(としておきます)がつくった烏龍茶(半発酵茶)だ。中学を卒業してすぐ自然農法に目覚めたという変わり種、といったら怒られてしまうけれど、彼が愛媛の福岡正信翁に師事し、地元で自然農法を提唱されてきた川口由一さんに学んだというから親近感がわいた。僕も昔、川口さんに学んだ頃があったからだ。

川口さんを訪ねたのは91年の夏。ちょうど川口さんの最初の本『妙なる畑に立ちて』が出版されたころ。その頃僕は有機農業の世界にはいったばかりで、右も左もわからないことだらけだったから、知って感じたくてうずうずしていた。JRの巻向(まきむく)駅のまん前の田んぼ、初めて見る赤米黒米の穂は背が高く、禾(のぎ)がやけにとんがってたことや、田んぼの感触、川口さんちでいただいたお味噌汁のおいしさを思い出す(駅前の田んぼ、今は纒向遺跡になったそうです)。川口さんの自然農法は、耕さず、農薬・肥料を用いず、草や虫を敵とせず機械も使わない、永続可能な栽培方法という。プロの農家とは全く違う世界だから、つくり手の側から顧みられることはあまりなかったけれど、近年そのような志向は、静かで見えにくいが、おそらくは大きな潮流として育ってきている。

妙なる畑に立ちて…川口由一著最近は、その彼のお茶を、気にしつつ何度も飲んでいる。農薬や化学肥料はおろか、肥料を全く与えないという栽培に徹しているという。煎茶、番茶、烏龍茶、紅茶、晒青緑茶もあって、意欲は満々。というか、お茶という植物に、彼の流儀で向き合っている。どのお茶にも共通と思うのは、収斂味、渋みがやわらかいこと。煎を重ねていただく茶水が、徐々に深みが加わっていく体感があること。時に喉の奥が熱くなる感覚もあったり、湯にほどけた末に発する樹脂系の香りでさえ楽しめてしまう……。

お茶という飲みものには、こういう体感が、他の飲みものにはない「かけがえのなさ」として潜んでいる。それは高知の國友さん、春日のNさん、同じ奈良、もうひとりのIさんほか、根っこの部分の価値観(のようなもの)、あり方として共有されていると僕は思うし、そういう価値観に共感できる。彼の「妙なる茶畑(?)」にはまだ行けていない。近々遊びに行きましょう。

 

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