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この方のお茶を久しぶりにいただいた。銘は玉蘭、品種は印雑0131。藤枝は小柳勉さん2012年の釜炒り茶だ。

一煎、湯呑を口元に寄せ、あああ、と独特の甘い香りが漂ってきた。くんくんくん、このくぐもったようだけど、イヤ味がこない香りは小柳さん独特のもの。1年以上も経過したお茶の香り、衰えるどころか、一層まろやかに漂ってきた。これが釜炒りの楽しいところ。しかも口に含めばまぎれもない日本の煎茶の「味」がした。ここで再び、あああ、と喜びの感嘆w 久しぶりにいただいたこのお茶は、味わいを楽しむお茶であり、香りはその入り口と位置づけされているように思った。

ここのところの発酵系のお茶づくりだと、味わいではなく香りを追いかけていて、日本茶本来の楽しみと言えそうなこの味わい、または「香りと味わいの両立」に思いが至る人はどのくらいいるだろう。今は紅茶も含めて、発酵茶が百花繚乱の状況のようなので、味わいのうえに香りがアクセントのように添えられているような、ある意味奥ゆかしいお茶づくりは受け入れられづらいのかもしれない。

こう考えていくと、小柳さんがお茶の萎凋、生葉を萎れさせる工程に神経をとがらせていたことが思い出される。言葉のひとつひとつは思い出せないが、香りのよさを気にするというより、いかにほんのりとした香りで留めておくかというような気の配り方だった。意識としては、萎凋を進め過ぎたら日本茶ではなくなってしまう、というような緊張感。香りを求めての釜炒りであり萎凋だけれど、あくまでも日本茶としての可能性を求めてのことだったのだ。

それは、勉さんのお父さんである、小柳三義さんからはじまった挑戦だったことは、故・波多野公介さんの著書『おいしいお茶が飲みたい』に詳しい。品種「ふじかおり」の生みの親であり、釜炒り茶の研究者でもあった故・森薗市二さんのパートナーとして品種の育成に尽力され、その香りの発現に最適な製茶方法が釜炒り製であることも採り入れ、自分なりの香りの日本茶を追求し、これを「21世紀のお茶」と呼んだ。今から20年ほども昔の話だ。

以前宮崎の山奥を取材したとき、お茶は作業の段取り手順から、ある程度自然な萎凋が行われて釜炒り茶とされて暮らしに根付いていることを知った。それは換金作物として、商品としてのお茶としては不適当とされ、禁止されてしまうのだけど、まさに香りの日本茶のルーツは九州の釜炒り茶にあるのであって、静岡にはそういう文化はなかった。これをヒントと捉えて先達が品種や製法の研鑚に精進していた当時は、ほとんど見向きもされなかったのではないか。

小柳さんの釜炒り茶は、昔ながらの釜炒り機で、今も健在です。

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