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最近、こういうお茶について考えています。日干しのお茶。
うーんとほっこり心も体も落ち着くお茶で、ほぐれるというか、片肘も張らない、じわっとくるというか、いい感じなのです。

日干しのお茶は、今の主流の煎茶よりもぜんぜん歴史が古い。つくりが原始的で、茶葉を摘んで煮て干すだけでつくる「揉まないお茶」。西日本では昔から自家用につくられてきたし、その素朴なつくりで地域の個性が生まれて、専門の生業も育っていった。岡山なら美作番茶とか、徳島では阿波番茶とか。ひとくくりには「番茶」、「晩茶」と書いたりもする。土瓶でぐつくぐと煮出していただくのが本来。あまり普及しないのは、値段が安いから。商売できる生産者がとても少ない。山奥に行けばばあちゃんたちが自家用でつくったりしているが、田舎臭いとか、古くさいとかで流行らない。

今の煎茶も、釜炒り茶も、紅茶も、揉むお茶だ。揉んで茶葉の細胞を破壊して沁み出すエキスを濃縮して、その後の乾燥で固化させていくから、お湯を注げばすぐに溶けだす。ならばと急須も生まれて、手軽にお茶をいただくことができるようになったのだから、お茶では大きな発明だった。機械化もされて、値段が取れるから、拡がった。

写真の右は高知の番茶。ていねいに手摘みされ、吟味されてつくられたもので、雑味がうすく、ピュアな「日干し茶」の香りが立ち上る。青々しい煎茶に慣れた人にとっては少し臭みに感じるだろう日干し茶独特の香りも、このお茶はよりピュアに、香りにしているようなお茶。戻した茶葉は葉の形がきれいに残って、見た目もおいしい、上品な番茶だ。

左は奈良の日干し番茶。農薬、肥料の一切を使わずに育てられた茶ノ木を日干しの番茶にしたもの。なんと甘い香りがする。僕はこの系統の甘い香りがするお茶づくりをする生産者を1人だけ知っているが、やはり窒素系の旨味とも臭みともつかぬのどの引っ掛かりと無縁なさっぱりとした味わいが共通で、それが茶ノ木の肥培管理に由来することがよくわかるお茶。Iさんという若き茶農家が作っているお茶。

こういう日干し番茶は、お茶づくりの時にいったん煮出すなどするので、チャノキにもとからある青臭い部分をそぎ落とした出し殻のようなものだ。ところがそこが長いお茶文化の知恵の賜物とも言え、その工程が、お茶の陰を陽に転じ、刺激少なく滋養を媒介する容器に転じさせる。これ、陰陽五行のことはまったくわからないのだが、体感はわかる。

今週末は、この日干しのお茶をおもしろいと思い始めて、この歴史の古い、あまり顧みられなくなったお茶に取り組む若き生産者に話を聞きにいってくるのです。

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