s-20150206-010
昔の人々はケミカルなものもジャンクフードも無縁で、赤ん坊のように清浄な内臓だった。だからお茶の効果もてきめんで、きっと良く効いた。お茶だって野生に近いものだっただろうから、清らかさはこの上ない。左能さんのお話しから、今まであまり考えていなかった様々に思いが至り、とてもワクワクした。

以前、高知でお茶の有機栽培に取り組んでいる國友昭香さんにとても似たお話しを伺ったことがあった。

「ベトナムの帰還兵が強いストレスで心身症になったというテレビ番組。それと略奪や殺し合いで明け暮れた、これ以上ないようなストレスフルな毎日を過ごした武家社会から“茶道”が始まったというお話し。ある時、この2つが自分の心の中に入り込んで、これだ、と思ったんです。お茶というものが、人の心を落ち着かせるという働きがあったからこそ、広まっていった。そう思うようになったんです」(ちゃのきの茶「山の民のお茶」)

この着想から、國友さんは土佐の山に自然生え実生のヤマチャを求め、香り高い貴重な釜炒りのお茶をつくっている。それは山の焼畑で開いた、古の遺伝子を今に伝える、実生の、ザイライのチャノキ。空気も水も清浄な、無農薬有機栽培、無肥料に限りなく近い栽培が徹底されて、生きている。國友さんは今の時代に、古のお茶が備えていた本質を蘇らせたのだと思う。このお茶から受け取る体験、体感は貴重だ。

s-20150206-013
作家の杉本苑子さんが、とあるお茶の専門誌でこんなことを書いている…

「…まだ、茶道と称するような手順も作られていなかった戦国時代の茶は、現代のように風流なものではなかった。今の今まで戦場で敵を殺していた血まみれの手をつくばいの水でざっと洗い、茶を要求する。すると茶坊主といわれる茶の湯者が茶をたて、差し出す。そして、合戦の勝ち負けなどのはなしをしながら、作法もなにもなく飲む。ついさっきまで生きるか死ぬかの殺し合いをしていた武将らが、咽喉の渇きを癒すために茶を飲んでいたのです。…」(『茶の世界』5「戦国時代の茶」より抜粋)

なんと説得力がある。人間は精神的な生き物。心のストレスで病気になってしまうのが人間だ。武士たちが “茶道”を求めたころ、その“当時のお茶”には、張り裂けそうな恐怖心や不安、極限状態のなかで、心を鎮め、落ち着かせるというような、具体的な精神作用をもたらすようなはたらきがきっとあった。それは今よりも劇的な効果としてあったのではないかと思う。だからお茶が広がり、茶道が広がった。茶道は作法や様式のみにあらず。茶のそのような“具体的な作用”を核に、新たな作法としてその空間、思想を取り込んで、道をなしていったんじゃないだろうか。まだ近代技術もなかった頃のお茶、禅宗の開祖、栄西禅師が「茶は養生の仙薬なり、山谷に生じれば神霊なり」と説いてお茶を広めた鎌倉のころのお茶。ここらへんにお茶の核心があると思う。

体に交感するお茶。昔のこともいいけれど、この昔の人々がお茶から得ていた効果、交感作用のようなものを、今の時代に、受動的にではなく自らの体感として、お茶をいただく側から考え、得ていこうとしている人もいます。このお話、在来のお茶のことも合わせて、まだ続きます…

s-20150206-011

tags / , , ,

«                   »

Leave a Reply