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新茶の声もちらほら聞いては、あのフレッシュな香りを思い出して落ち着かず。なのにおととい、和歌山龍神村の晒青緑茶を飲んだあとの2日間は、あの深い香りと味わいを喉あたりに渇望し、土砂降り雨の日々、その気持ちの乾きにこれまた落ち着かなかった。というところに、北城彰さんのblogを読んでしまい……

それにしても今の時代はすごい。北城さんは今この時まさにお茶の仕入れ旅の真っ最中であり、その情報がほぼリアルタイムで私たちのところに届いてしまう。全く色あせもないデジイチ上級機の画像で(!)。大陸の奥地の神秘、そしてそこに暮らす少数民族の仲立ちをする怪しげなお茶商人、ワイロ役人、コロコロ変わる政府の方針、心許せぬ地方滞在etc. お会いしたことがないが、北城さんはそれらすべてをものともせず。ガツンガツンと現地確認で突っ込んでいく。これほどニュアンスなしの取材行も一種の迫力、たいしたもんだ。…もとい。勉強させていただいております(^^;

ということで、去年茶壷天堂さんから求めた雲南のプーアール陀茶をほじほじ(塊の内側をアイスピックなどで削り取ったお茶っ葉でお茶いれるのです)。おいしいおいしい。力価の高いというか、力の強いお茶です。焦がれるような、深い深いアジアのおヘソの味わいがありました。それと、菜津子さんが言っていた、日本に至る同じ根っこのお茶のことが、了解されるのです。

中尾佐助さんだったか、佐々木高明さんだったか、文化に表層と基層があると。食ではイモ食、焼畑、雑穀食を基層として、表層には米。茶では蒸し茶が表層だろう。その基層は蒸しのお茶と脈絡が違う気がする。そして、基層にはいろんなロマンがあって、晒青緑茶はまさに基層に届くお茶だろう。茶であればこそ、古(いにしえ)を想う心持が意味を持つ。時間旅の世界だ。そんなことも、あの深い香りといっしょに飲み込むお茶。またお話し聴きに行きたいなぁ千歳船橋。んでまた1個購入だ(^^; (それにしてもお茶巡りの日程は固めないとヤバイ)

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